ヨガに関するお話いろいろ


「ヨガについて」その1、より前に書いた記事が見つかったのでこちらにアップしておきます。(こちらは「ヨガについて」17、ってことで)

 

2018.2.21

プライベートな記事は、いつもページの方にアップするようにしているのですが、ちょっと発信した方がいいかな、と思ってこちらにアップします。

ちょっと長くなっちゃいますけど、すいません。

今朝、ヨガに関する記事が、ビジネスマン向けのメルマガにアップされてまして(フナツは仕事上たくさんのビジネス系その他のメルマガを購読しています)、それが中年男性にこそヨガが必要だっていう内容でありまして・・・。

記事からの抜粋です:

<男性にヨガをすすめると「あんなポーズできない」「汗をかかないのでもの足りない」と言われてしまうことが多いが、もともとヨガは男性のためのものだそうだ>

世の中でヨガはけっこう誤解されてますよね。

「身体が硬いからヨガなんてできない」←いえいえ、身体が硬い人のためにヨガはあるんですよ〜。

硬いからこそ、ヨガをやった方がいいのになぁ、ヨガのインストラクターの方々みたいにあそこまで柔らかくなる必要なんてないのになぁ、とフナツは思います。

もうちょっと記事から引用すると、

<体が柔らかくなると、物事の考え方も柔軟になる。ヨガをすることで、体を通して自分の能力に気づき、自分の可能性に向かってアグレッシブな行動ができるようになります>

思考の柔軟性って、ビジネスにおいても大事ですよね。

身体の硬い人って、頭も堅そうな気がしませんか?

人間って日常生活では、同じ動き、必要最低限の動きしかしていません。使う筋肉も、関節を動かす範囲も、呼吸も、ついでに言えば「頭を働かす範囲」も。

もっと動かせます。もっと伸びるし、もっと違うこともできます。でも、自分で限界を作ってしまっています。

もっともっと無限の可能性があるのに、自分でそれを狭めてしまっているような気がします。

それに気付き、そして自分の可能性を高めるためのきっかけとして、「ヨガ」はなかなかいいんじゃないかと思うのです。

フナツはある時期、ヨガの良さをもっと広めたいと、ヨガを教えてました。(最近いろいろ忙しいのでやってません、すいません、久しぶりにヨガクラスやりたいなとは思ってます!)

ヨガって世間では「女性がやってる、かっこいいかもしれないけど俺のイメージには合わないな」なんて中年男性には思われてます。

でも、そんな風に考えるのはもったいないです。
ヨガって、そういう見かけ、格好よりも、もっと内向きに自分を鍛えてくれるものです。

もしよかったら元記事を読んでみてください。

オフィスその他で手軽にできるポーズも紹介されています。

さて、

(中年男性であるところの)フナツは、アシュタンガヨガというヨガのスタイルに「マイソールクラス」という自主練習があるのですが、そちらに週2回ほど(←理想)足を運んでヨガをやっています。

このマイソールクラスというのは、インドにおける従来のヨガクラスです。(現在日本で行なわれているヨガクラスは西洋からの逆輸入バージョンです)

早朝から3時間ほどヨガスタジオがそのために解放されていて、その時間内であれば、好きな時間に行って、アシュタンガヨガの決められたポーズの流れを自分で練習し、後ろで見ている先生が時折手直しをしてくれて、自分が決めた時間に終わって帰るというスタイルのクラスです。(ただ、名古屋でマイソールクラスを設置しているヨガスタジオは少ないです、念のため)

スタジオに行って、マット敷いて、深呼吸して、プラクティスして、静かに帰る。

スタジオには、プラクティスしている人たちの呼吸の音と、ポーズごとにマットの擦れる音、先生のアジャスト(ポーズの手直し)の時の低い声しか聞こえません。

とても静かな、しかし良質のエネルギーに満ちた空間がそこにはあります。

かなりハードなフィジカルトレーニングでもあるんですが、深い呼吸ができて、「動く瞑想」でもあるので、終わった後がすごく気持ちいいのです。

ちなみに、フナツが通っているヨガスタジオはこちらです。

写真でもわかるように日差しが溢れ緑もある心地よい空間です。

マイソールクラスはある程度経験者でないと参加できませんが、やさしい初心者向けのクラスもあります。

まずはヨガを「体験してみる」といいと思います。

「いや、一度ヨガやったことあるんだけどさ〜、ちょっとね〜」という人は、スタジオやインストラクターと合わなかっただけだと思います。

実はヨガって、スタジオやクラスの雰囲気、インストラクターとの相性がとても大事です。

自分が通えそうな、続けられそうなクラス、スタジオに巡り会えるまで、いろんなところに行ってみてください。

長い書き込み、最後までおつきあいありがとうございます。

これを読んでいる皆さんが素敵なヨガライフを見つけられますように!

2014年から更新してないってどんだけ〜!

申し訳ありません。5年近く放置しておりました。

 

はい、久しぶりに更新させていただきます。

写真は、フナツがマイソールクラスに通っている haano yoga studio さんです。

 

フェイスブックの方にぼちぼち書いていた「ヨガについて」がそこそこ貯まってきて、そしてそれを全部読みたいという有り難い申し出がございました。

 

そして先日の「ヨーガ・スートラ勉強会」で、こういうの書いてますって話して、「ではHPで、まとめますので読んでください!」って帰り道で宣言してしまったこともあり、これまで書いた「ヨガについて」をまとめてここにアップしたいと思います。

 

少々、ボリュームありますが、ボチボチ順を追ってお読みください。今のところ「その16」まであります。

 


「ヨガについて」その1

 

2018.5.21

最近、授業その他が忙しく、週1ペースになっているマイソールですが(最低週2は行きたいな〜)、今日も気持ち良く汗を流してきました。

ちょっと今日はヨガに対する世間の誤解について書きます。その1

え〜と、そんな偉そうなことじゃないんですけどね。

マイソール(アシュタンガ・ヨガの自主練です、そこそこハードです)終わっての帰り道、

「あ〜、気持ちいいな〜、なんでみんなこんな気持ち良くて身体にいいことやらないんだろう〜」

って考えてたら、いろいろ勘違いがあるんだろうな〜、ってことで、以前もプライベートなページの方には何回か書いたことはあるんですが、改めてこちらにも書こうかなと思った次第です。

 

「ヨガは身体が硬いとできない」

身体が硬いからこそやったほうがいいのですよ〜。

そもそも、まず、「ヨガができる」とか「ヨガが上手くできない」とか、その言葉自体がちょっと違うと思います。

ヨガは「できる」「できない」ではなく、「やる」か「やらない」かです。

例えて言うなら「深呼吸」、これは「やる」か「やらない」か、ですよね。深呼吸したほうが身体にいい、でも忙しい日々を送っているとあまり意識して深呼吸していない。

誰でもその気になればできる。

 

ヨガはスポーツでもなく、ポーズをとることだけがヨガではありません。ヨガは生活そのものです。呼吸や精神面、食生活など様々な要素があります。

この辺りを話し出すと話が長くなるので、興味のある方はググってみてください。

 

そして、身体が柔らかいとか硬いとかの話。

そりゃ身体は柔らかい方がいいことが多いです。肉体的にも精神的にも。
身体が硬い人は心も硬い人が多いです。思考も硬直している可能性があります。

 

しかし、その「硬い」「柔らかい」の基準を、他の人と比べてはいけません。

人によって骨格や筋肉のつき具合、これまでの運動歴、そして障害やこれまでの怪我の有無、などなど、人の身体の硬い柔らかいは千差万別です。

他の誰かと比べて、私は身体が硬いと嘆くのはやめましょう。

 

ヨガをすることで(もちろんヨガ以外でもいい)、身体がリラックスしてほぐれたり、忙しい毎日で緊張し続けている身体が柔らかくなった、そういったことを基準にしたほうがいいと思います。

 

人間の成長というのは、身体が硬くなっていくことなのです。

赤ちゃんはめちゃ柔らかいです。頭蓋骨を変形させてお母さんの産道を通り抜けてくるくらいです。

 

「赤ちゃんの首がすわる」というのは、首の関節が固まることです。お座りができるようになるというのは、腰から背中が固まっていくことです。

ハイハイができる、立てる、そして歩けるようになるというのは、上腕や肩関節が、そして立って歩けるのは、股関節や足が固まっていくことです。

 

ほとんどの子供は大人より柔らかい身体を持っています。

年とともに身体は硬くなっていくのです。

 

そして身体が硬くなっていくと、いろいろ不具合が出てきます。

怪我をしやすくなる、ちょっとしたことで関節などを痛める。内臓にうっ血する。いろいろ体内に滞りができる、その他いろいろ。

そういった、あ〜、なんか身体が心地よくないな〜、という状態をほぐしてあげればいい。

 

以前の自分より身体が硬くなっている、そしてそれがまた柔らかくなった、など、身体が「硬い」「柔らかい」は、自分の中で比べればいいのです。

身体が硬い/柔らかいを、他人と比べるのはやめましょう。

 

モデルの人が(ヨガのインストラクターが)ポーズを取っているのを見て、私にはあんなことはできない、身体が硬いから、なんて感じでヨガをすることを諦めるのはやめてほしいなと思います。

 

あ〜、なんかだけでたくさん書いてます。

 

まだ、「ヨガのポーズがうまくできない」、「ヨガって女性がやってるイメージ」などなど、書きたいことはたくさんあるんですが、まずはこのあたりで。

まずはを最後まで読んでいただいてありがとうございます。

つづく

 

 


「ヨガについて」その2

 

2019.5.26

ヨガに対する世間の誤解、その「ヨガのポーズがうまくできない」

 

今日のマイソールは汗かきました〜!

 

二限目の授業に間に合うようにってことでちょっと慌ただしかったのですが、今日も気持ちよくマイソールで身体を動かしてきました。

 

さて、月曜日の続きです。

お待たせしました!(って待っててくれた人はあまりいないかもしれませんが)

 

でも今日は朝から暑かったですね。

今日はマイソールに早い時間に行ったので練習している人も多く、スタジオの中にエネルギー、熱気が満ちていて、余計に暑かったです。(久しぶりにアーサナしながら汗がポタポタと滴り落ちた)

 

あ、はい、その「ヨガのポーズがうまくできない」でしたよね。

 

現在のヨガは「アーサナ」(ヨガのポーズのことをこう言います)が中心です。

ごく普通のヨガのクラス/レッスンでは、アーサナを教え、アーサナを参加者にやってもらうことがメインになっています。

そのこと自体は悪いことではなく、その様々なアーサナをすることによって、参加した人たちが心身ともに健康になり、健やかな暮らしを送れるならばそれに越したことはないです。

 

しかし、アーサナそれ自体が目的になってしまったら・・・。

 

アーサナはヨガの1部分であり、健やかな暮らしのための「手段」です。

 

先人が長い年月をかけて完成させてきたさまざまな「アーサナ」には叡智が詰まっています。何気ない動き、視線の固定、体の向き、関節の捻り、筋肉の伸ばし方など、やればやるほど奥深いです。

 

でも、アーサナをすることがヨガをする「目的」になってしまったら、それこそ本末転倒、「目的」と「手段」を履き違えるということになります。

 

ヨガのクラス/レッスンでアーサナを「手段」として、心身の健康を手に入れるという「目的」が、アーサナをすることが「目的」、いかにキレイにアーサナをするか、いかにもっと難しいアーサナができるようになるか、そちらが「目的」になると、現在の自分の身体の状態や、筋肉/関節の状態などお構いなしに無理をしてアーサナをするようになります。

 

はい、怪我します。ヨガが楽しくなくなります。

 

そして、今日のテーマ「ヨガがうまくできない」という悩みが出てきます。

とてももったいないです。

 

スポーツクラブでもよくある、「運動」することで身体を鍛えたり健康になろうとしているのに、「運動」すること自体が目的となって、無理をして「健康になるために運動しているのに怪我してしまった」「運動のためなら怪我してもいい」という運動オタクになってしまいます。

 

もっとアーサナはいい加減にやりましょう。

 

ヨガを一生懸命やってはいけません!

無理は禁物です。あなたの身体は隣でアーサナしている人の身体と違うんです。

 

アーサナしている時に呼吸が止まってしまったら、呼吸できるところまで戻りましょう、戻しましょう。

いい加減とは「良い加減」のことです。テキトーでいいんです。

 

自分が「ちょっと痛いけど気持ちいい」ところで止めること、自分が気持ちいいところに留まること。これは自分にしかわからないのです。インストラクターが見本を見せてくれたって、この様にやりましょうって言ったって、そんなふうにやることはないのです。

 

人から見てテキトーにやってるみたいでも、隣の人と比べると全然曲がっていないようでも、インストラクターみたいに本で見るようなピタッと決まったポーズにならなくても全然いいんです。

 

人と比べないこと、うまくやろうと思わないことです。

 

「うまくやろう」という気持ちの中には「見栄」や「競争心」が入ってきます。

「見栄」や「競争心」は、ヨガの精神とは程遠いものです。

 

もちろん、これまでできなかった新しいアーサナに挑戦することはモチベーションを高めます。新しいことにチャレンジすることは人間の能力を引き上げてくれます。

 

また、これまでうまくできなかったアーサナが、繰り返しているうちに少しずつ深まっていく、そこには喜びがあります。

 

でもそれは、自分の身体がヨガによって、アーサナによってより良く変化していったという証拠であって、良い点数がもらえるとか、他の人から上手ね!って言ってもらえるとか、人に勝つとかそういうことではありません。

 

ヨガに上手い/下手はありません。

 

強いて言うなら「ヨガへの理解が深まっているかどうか」、そして先ほども書いた「自分の身体がヨガによってより良く変化しているか」だと思います。

アーサナを、インストラクターと同じように、まるで写真で見たような形に近づけることを「目標」にしないでください。

 

そうではなく、アーサナを通じて自分の身体と会話してください。

 

「ここまで曲げたら痛い?」「これ以上はいかないね?」「あ、なんか今曲げたところを伸ばしたら、血液がダァ〜っと通ったような気がするね!」「今日の調子はどう?」「深く呼吸すると気持ちいよね!」

 

そして、身体の各部分を意識してください。普段意識することのない、例えば「指先」「かかと」「お尻」などに声をかけてあげてください。「いつも苦労かけてるね〜」とか。

 

もっと具体的に言えば、例えば、トリコナーアーサナ(三角のポーズ)をしている時に、いつもは伸ばしている方の足のハムストリングスの伸び具合とか、腕の上がり具合などを意識していると思いますが、その時の「腰骨の向き」とか「後ろ足がどのように床を捉えているか」などに意識を向けたら、きっと違う感覚が得られると思いますし、アーサナへの理解が、アーサナそのものが深まっていくと思います。

 

アーサナをするたびに新しい発見をする、アーサナすることで自分の身体の普段意識していないところを意識する。そんなふうに一つ一つのアーサナと向き合っていれば、「うまくやろう」なんて気持ちはどっかいっちゃいます!

 

あ〜、どんどん書いていきそうなので、このくらいにします。

 

次はだな。

 

写真は、いつものハーノさんと、校舎から見た緑です。

大学のキャンパスというのはまだまだ緑豊かで気持ちいいです。

 

長い書き込み、最後まで読んでいただいてありがとうございました!
(いつも長いやろ〜!ってか!)

つづく

 

 


「ヨガについて」その3

 

2018.5.29

ヨガに対する世間の誤解、その「ヨガは女性がやるもの」。

 

今日のマイソールも暑かったです。

 

っていうか、季節が変わったのに、未だに七分袖の冬用のワッフルTシャツ着てるんだから、そりゃ暑いよ〜。

 

もう2週間くらい前から、ワッフルTの代わりにタンクトップ持って行こうと思いながら、忘れて、また同じシャツを無意識にバッグに入れているという・・。

マイソールは、というかアシュタンガヨガは(?)、基本男性は上半身裸でいいことになっているので、フナツも上半身裸でやってもいいんですけど・・・。

 

上半身裸でマイソールしてる男性って、ホント、目に入ると(否応なく目に入ってきます、同じ部屋でやっていれば、当然です)暑苦しくて、見たくねーよ、って感じで・・。

 

あ、上半身裸でアシュタンガやってる男性の方、すいませんっ!はっきり書いちゃいましたぁ〜!
正直な感想過ぎましたぁ〜〜!いや、申し訳ないです。


あくまでもフナツの個人的な感想です。

 

フナツの感想など気にせず(気にするわけないと思いますが)、上半身裸でやってください!

 

ちなみに、男性が上半身裸でアシュタンガヨガやってるの、女性はどう思ってるんでしょうね??

あ、ヨガをしているときに、他の人を意識しちゃダメですよね。

 

(でも、本当のところどう思ってるんだろう?きゃ〜、セクシー!とか?)

えーと、コホン、余談が過ぎました。

 

今日のテーマは「ヨガは女性がやるもの」という世間の誤解について、でしたね。

今日はサクッと、短くまとめたいものです。

 

いろいろ男性のことを書きましたが、はい、そうなんです。

 

少しでもヨガの歴史に触れた人ならご存知かと思います。

「ヨーガ」は、昔は比較的身分の高い「男性がやるもの」でした。ヨガのグルも圧倒的に「男性が多い」のです。

 

昔、女性がヨガの指導者になるには大変だったというエピソードとして、ひとつ例を挙げます。

 

第二次世界大戦後(1947年くらいから)、女優のグロリア・スワンソン(フナツが大好きな女優さんです)、グレタ・ガルボ、そして、あのマリリン・モンローにヨガを教えた、ハリウッドでセレブ相手の最初のヨガ指導者として有名な、インドラ・デヴィ(インド人女性ではありません、本名ユージー・ピーターソンというスウェーデンとロシアの混血の方です)という方がいます。(前置き長くてすいません)、

 

彼女が、かのクリシュナマチャリア師に師事したいと希望したところ、

「女性向けのクラスはない」

と言われたそうです。

 

しかし、諦めなかった彼女にグルは折れて、彼女はヨガを会得し、ハリウッドでヨガ指導者として成功を収め、かの有名なヨガの紹介本『いつまでも若く』1953年、を書くほどまでになります。

 

はい、戦前は、女性が大っぴらにヨガをするのは珍しかったようです。

 

そして、その後、

佐保田鶴治先生の書籍によりますと、

 

1960年代には欧米に、「第一次ヨーガ・ブーム」というのが来ていたようですが、(「第一次」にご注意!それ以前はなかったということです)

そのあたりから、コマーシャリズム(商業主義)に乗っかって、ヨガを「美容と健康」に繋げてマーケティングした結果、

「ヨガは女性がやるもの」になっていったと思われます。

 

スリムでキレイな女性をモデルにして、あくまでも「美容」を売りに、「ヨーガ産業」ともいうべきものが、マットやウェア、雑誌に書籍、ビデオやDVD、食べ物や化粧品などなど、さまざまな産業と結びついて、巨大なマーケット(商品市場)を現在形成しています。

 

ある本によると、1975年に創刊されたヨガの業界では有名な専門誌『ヨガ・ジャーナル』の、アメリカにおける読者数は、約200万人。

その87%が女性で、その大半が高学歴・高収入・高ステータスといういわゆる「意識高い系」の人たちだそうです。

ヨガをやっている女性は、オーガニックとかロハスとか、天然とかナチュラルな素材とか、環境に優しいとか、健康的なライフスタイルを志向する女性、そんなイメージを作り上げているようです。

 

日本でもそれに近い傾向があるのではないでしょうか。

 

このようなイメージが、世間一般でも「ヨガは女性のもの」という印象を与えるのは無理もないところでしょう。

これを読んでくれている人たちは、きっとヨガをやっている人が多いと思うのですが、そういう雰囲気があることはなんとなくわかっていただけると思います。

世間一般ではヨガをそう見ているということですね。

 

そして、女性がヨガをやっていることに対して、

 

ヨガは結婚してからやるもの、ヨガをやってると結婚できない、ヨガをやってることは小出しにして彼氏の反応を見る、

なんていうブログもいっぱいあって、ちょっと笑えました。

 

そうなんだ、世間はヨガをそんな風に見てるんだ、って。

 

まさしく、ヨガに対する世間の誤解、ですね。

 

ヨガってもっと地に足がついたものなんですけどね。

男性がやっても女性がやっても、本当にいいものなのに。

 

ついでに、ほんのすこしだけヨガの歴史に触れておくと、

え〜と、これを読んで、ヨガの歴史についても、ちょっと勉強してみたいなって思った方は、フナツの「ヨーガ・スートラ勉強会」に来てくださいね。

https://www.facebook.com/events/616860772006173/

 

ヨガが何百年もの眠りから覚めて(そう、ずっと眠っていたのです)、日の目を浴びるようになるのは、20世紀に入ってからです。

 

当時のインドのインテリは、何十年にも及ぶ、英国の植民地支配を脱するために、インド人のナショナリズムを鼓舞するインド人のアイデンティティーを模索していました。

 

そこで、インド古来の神秘性を備えたヨガが、この運動の有力なひとつになったわけですね。

 

世界にヨガの良さを広めようと、この時代ヨガの聖者が何人も現れます。

 

しかし、インドの中産階級の人々は、ヨガはセックスのためのものとか、魔術に執着しているといった「インドの恥ずべき伝統」ってその頃は思っていたようです。大道芸人か、だらしない放浪者の一群だと。

 

長い間、ヨガの地位は地に落ちていたわけですね。

 

そこで、ヨガの地位を上げ、ヨガのイメージをアップするために尽力する人が現れるわけです。

 

そういった地道な活動によって、ガンジーやネールといった独立運動の立役者たちも、刷新されたヨガを全世界に広めるようになるのです。

ビートルズがヨガ(というかその精神性)にハマったのも、世界にヨガブームをもたらす要因になりました。

 

あ〜、ヨガの歴史を書いちゃうとどんどん書いていきそうなので、この辺りでやめます。

 

長い書き込み(だんだん長くなっていってるぞ〜、今日はサクっとまとめようと思ってたのに・・)

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

もなんかあったような気がする。

つづく


「ヨガについて」その4

 

2018.7.11

今日は暑かったです。(ヨガについてその4)

 

はい、もちろんスタジオにエアコンはありますが、マイソールの時間に冷房なんて入りません。

汗をかくのが良いのです。

 

って、今日はホントに汗が「半端ないっ!」って感じでした。(「大汗ハンパないっ!」って、もういいっすね)

 

と、最近はやりの言葉を使ってしまったフナツですが、

 

とにかくこのところいろいろ忙しくて、ヨガにもなかなか行けず、行けても「ヨガについて」を書く暇もなく・・・、

今日は久しぶりに、マイソールクラスの後、ゆっくりコーヒーを飲みながらこれを書いています。

 

イベントもひと段落して、そろそろ大学も夏休みだぞっていう気配もして(その前に前期試験問題作成とかその採点とかいろいろありますが、たぶんなんとかなります)、そしていくつか書いていた企画も日の目を見そうです。

 

はい、次の本の企画です。(来年初めには・・・)

 

あ〜〜、前置きが長い。(本文も長いです・・・)

 

はい、ヨガについて、その4(かな?)。

 

「ヨガはアサナ(ポーズ)だけではない」、これは以前にも書きましたよね。

ヨガには「アシュタンガ」、"ashta" 「アシュタ」8という意味、"anga" 「アンガ」構成要素というくらいの意味、

俗に言う「八支則」があります。

 

ちなみに、アシュタンガ・ヨガというヨガの一つの流派の名前はここに由来しています。

 

これは、「ヨーガ・スートラ」(昔、書かれたヨガのハンドブックのようなもの)の第2章に書いてあります。

 

今度の「ヨーガ・スートラ勉強会」(9/2の予定)では、この辺りも第1章と並行してやりますよ〜〜!

 

ヨガをやっている人、教えている人ならご存知の方も多いと思いますが、これを読んでいる人で、知らない人もいると思うので、ごくごく簡単に、

 

1、ヤマ(Yama)日常生活における戒めが5つ書かれています。盗んではいけないとか、貪ってはいけないとか、嘘をつくなとかです。

 

2、ニヤマ(Niyama)日常生活で実践すべきことが5つ、清潔にしようとか、向上心/信仰を持とうとか。

 

3、そしてやっと三番目に、アーサナ(Asana)が来るのですが、これは実は、瞑想を深めるためにちゃんと長時間座っていられるかを目指すものなんです。

 

単なるポーズの練習というわけではなくて、瞑想を行なうための姿勢を正し、深く瞑想に入っていくための準備なのです。

そしてさまざまなポーズによって身体を整え、心を整えるのです。心と身体は一つですから。

 

安定したポーズ(身体の安定)で心の安定を得る。そして、ただ一心にポーズに没頭し、こだわりを捨て、他者と比べず、ひたすら集中できるように自分を整えていく、そういった過程でもあるのです。

 

もちろん、健康増進のための「運動」としてヨガを始めても全然かまわないと思います。

ヨガの奥深さに気づくときがきっと来るはずです。

 

次に、

 

4、プラーナヤーマ(Pranayama)呼吸です。

「プラーナ」とは、エネルギーのこと、呼吸をコントロールすることによって、身体中のエネルギーを滞りなく循環させます。

アーサナは深い「呼吸」とともに行われます。アーサナをすることは、深い呼吸をすることでもあるのです。

そして、

 

5、プラティヤハーラ(Pratyahara)感覚をコントロールする。

これは表現が難しいのですが、どうしても外に向かいがちな五感を(私たちは外部の刺激に絶えず惑わされてしまいます)、内側に向けること、自分を客観視して、ブレない心を作ることです。

 

感覚を研ぎ澄まし、かつ、手放し、同時に感覚に意識を向け続けるという(わかりにくい表現ですいません)ことを目指します。

あ〜、ひとまず、ここまでにします。

 

あとは、

6、集中
7
、瞑想
8
、悟り

という「超越した状態」で、日常生活とは少々離れた感覚です。

 

つまり、「ヨガ」というのは、まずは日常生活において守るべきことを守り、実践すべきことを実践し、日々心身を整えていくことなんです。

ということが書きたかった。

 

あ〜、全然書き足りませんが、これから授業なので、この辺りで。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました〜!

また、じっくり書きますね〜。

 


「ヨガについて」その5

 

2018.7.25

ヨガについて(その5?・・たぶん)

 

え〜と、けっこう質問があるので、最初に解説から。

 

まず、フナツが通っているマイソールクラスというのは、「アシュタンガヨガ」(というヨガの流派があると思ってください、けっこうハードな体育会系ヨガです)の自主練です。

 

朝7時から10時までの間、スタジオ(フナツの場合はhaano yoga studioさん)がマイソールクラスのために解放されているので、その時間内の自分の都合のいい時間に行って、マット敷いて、自主練します。

 

ある程度の年数、アシュタンガヨガをやってきた人なら、インストラクターのカウントに合わせてアサナをやるより、自分のペースでやったほうがやりやすいのです。(アサナをどこからどこまでやるかも、ある程度自分の裁量でやれる人向けですが)

 

だいたいの所用時間は、準備運動の太陽礼拝ABから始まり、ハーフプライマリーという一連の流れ(やるべきアサナとその順番は決まっています)、そして仕上げのいくつかのアサナで、1時間半くらいです。(2時間くらい練習している人もいます)

 

さて、今日も暑かったですが、身体が徐々に慣れてきているみたいで、そんなにしんどくないかなって感じでした。

 

しかし、汗はハンパない。

 

たとえば、プラサリータパドッターナアーサナのC(立位開脚前屈の3番目のバージョン、手を後ろで組んで前屈とともに腕を前へ倒す)のときなんか、アジャストもあったのですが、5カウント終わって起き上がった瞬間、大量の汗がラグマットの上に滴り落ちました。

 

汗をかくことによって体温調節その他がちゃんとなされているのを感じます。

汗をかく機能が低下すると熱中症にもなりやすいです。

 

そして巷で言うところのデトックス、もう悪いものが全部汗と一緒に身体から出ていく感じです。

あらゆるところを曲げ伸ばしすることで、滞りがなくなり、身体中にエネルギーが満ちて、隅々まで行き渡る、そんな感じです。

 

今日も気持ちよかった〜。
(終わった後ね、やってる最中は無意識というかひたすら無我でアサナしてます)

 

みなさん、この季節、しっかり汗をかきましょう。

 

いつもエアコンで温度が一定のところにいる人は、1日に1回は汗かきましょう。(冷や汗ではなく・・・)

そして、職場の「汗かきおっさん」のために、オフィスが異常に寒い(エアコン効きすぎの)環境にいる、OL(なんか古い言い方っすね)のみなさん!

汗をかく機会を積極的に作りましょうね!!

 

ジムとか行く必要はないです。

 

今なら、普通に外を歩くだけで汗かきます。

とても安上がりです!

 

昼休みはわざわざ外へ出かけましょう!

 

え〜と、いつものごとく前置きが長いですね。

さて「ヨガについて(の世間の誤解を解くための書き込み)」も順調に回を重ねております。

 

前回は「ヨガは生活そのもの」について書きましたが、今回は「ヨガに対する態度」です。

 

ヨガ以外でフナツと知り合った方々は、一様に「ヨガも教えてるんですか?!」「ヨガ哲学まで教えてるんですか?!」ってびっくりされるんですが、そういう方々がまず口にする質問、

 

「家でも毎日ヨガの練習(修行)されているんですよね?」

 

してないっす。するわけない。

 

でも、そうやって答えると「え〜、してないんですか〜」ってちょっと不満そう。

 

ヨガや、ヨガ哲学も教えてるなら、毎日その道を究めるために修行していないといけないって思い込みが、特に日本人には、あるんですね。

でも・・、

 

でも、最近気づいたのです。

 

フナツが「してませんよ」って答えているのは、マイソールクラスでやるような、一連の(1時間以上かかるような)アシュタンガヨガのアサナ、それもマット敷いて汗だくになってやる練習のことでした。

 

はい、そういう練習は家ではやりません。

 

もちろん毎日やりません。

 

前回のアップ(7/11)で、以下のように書きました。

**
つまり、「ヨガ」というのは、まずは日常生活において守るべきことを守り、実践すべきことを実践し、日々心身を整えていくことなんです。
**

ヨガはアサナだけじゃない、と。

 

そうなんですよね〜。

 

「ヨガの八支則」(よかったら7/11の書き込み読んでください)の中で、ヤマ、二ヤマに関しては、可能な限り守り、毎日実践しています。

怒らないこと、貪らないことは、特に注意しています。

 

そして、プラーナヤーマ(呼吸)に関しては、ほぼ無意識のように心がけていること(「声」をよくするためには特に必要)であり、

 

プラティヤハーラ(感覚をコントロールする)に関しても、日々の暮らしの中で、バランスを崩しそうになる心・感覚をいかに整えていくか、これは毎日が修行です。

 

「心」と「身体」を整えていくこと。

 

これは毎日やってますね。「練習」「修行」とも思わずに実践してました。

 

そう、

 

なんと、フナツ自身が「ヨガの練習してますか?」と聞かれて、「アサナの練習をしているか」と受け取っていたことに気づきました。

人には「ヨガはアサナだけではない」って言っておきながらね。

 

まだまだですね〜。反省です。

 

修行が足りんぞ、そう言われたみたいです。

 

そして、日々ヨガをやり、ヨガを教えているみなさん。

「ヨガのために生きる」のではなく、「より良い人生のためにヨガがある」、そんなふうに考えてくださいね。

現代は「ヨガばかり」やっていては生きていけません。

 

またまた長くなってしまいました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日はこの辺りで。

 


「ヨガについて」その6

 

2018.8.2

ヨガについて、その6。

 

今日寝坊して焦って家を出たら、ヨガウェアその他を全部家の玄関に置きっぱなしで・・・、ははは。

急遽短パンだけ借りての(ヨガマットはスタジオに置かせてもらってるので)マイソールクラスでした。(たまにコレやってしまう)

 

ラグマットが無いのでなんか雰囲気が違いますけど、ヨガマットの色はもともとグリーンなのです。

 

さて、写真のスタバに落ち着き、書き始めようとして、いつからこれ書いてるのかなぁ?
本当に「その6」かなと思って調べてみました。(はい、今日は時間があるのです、ふふふ、もう大学は夏休みなのですよ)

「その5」が7月25日、「4」7月11日、「3」5月29日、「2」5月26日、初回は5月21日でした。

6月は本当に忙しかったんだな〜、と、今更ながらしみじみ。

 

今日初めてこれを読んだ方、最初から読んでやろうじゃないかというお時間のある方(奇特な方)は、ぜひ初回からお読みくださいませ。

今日の内容を読んでから、1〜5を読んでいただくとまた味わい深いものがあるかと・・。

 

はい、いつものごとく前置きが長いです。

 

前回、ヨガのために人生を生きるのではなく、より良い人生のためにヨガがある、そんなふうにヨガに向き合ってください、と書きました。

 

ヨガを始めた頃、
ヨガが大好きになればなるほど、
ヨガを仕事にしようと決心した頃、
ヨガを極めようと思ったとき、

 

人によってさまざまですが、こういうときに、ちょっと心に魔物が入り込みます。

 

ヨガをやっている自分がかっこいい。
レッスンを受けている人たちが、自分よりみんな下手。
ヨガマット持って地下鉄に乗っている私に視線が集まる。
ヨガを知らないなんて、なんてこの人意識が低いのかしら。

 

そんな可愛いらしい「自意識過剰」から、

 

なぜこんなに練習しているのにうまくならないんだろう。
どうしてこのポーズができないんだろう。
もっと難しいポーズが次々にできるようになりたい。
あの人はうまいけど、こっちの人は下手。
ヨガって、練習量がすべてよね。

という技術系の悩み、

 

そして

 

膝が痛い、ちょっと力を入れすぎたかな〜。
腰が痛い、でもそんなこと言ってられない。
練習休みたい、いや、そんな弱音吐いてどうするの。
怪我をしたからといって練習休んじゃダメ。頑張るの。
ヨガのレッスンに行くのが辛い。

 

身体のどこかに故障が出てきて、いったい何のためにヨガをやっているかがわからなくなります。

 

挙げ句の果てに、

 

もうヨガなんか嫌い。
あの先生のアジャストがいけなかったんだ。
あのワークショップは最低だった(終わってすぐフェイスブックには「すごくよかった」って書いたけど)。
私にはヨガは向いてない。

 

なんて極端に走る人もいます。

 

そうはならなくても、

 

やっぱりヨガって体が柔らかい方が勝ちよね。
ヨガってスタイルのいい人がやるものなのね。
こんな歳からヨガを始めたってモノにはならないのね。
仕事が忙しいし、時間もないし、うまくなるはずない。

 

なんて否定的にしかヨガに向き合えないようになります。

 

自然、ヨガから遠ざかります。

 

それはとても悲しい。

 

ここまで書いてあることが、

私には一つも当てはまらない、そんなこと考えたこともない。

なんて人は、ぜひこれからもヨガとハッピーな関係でいてください。

 

へ〜、こんなふうに考える人がいるんだ、って、反面教師にしてくださいね。

 

ヨガをしていると、とても気持ち良くて幸せ。そんなふうにヨガとおつきあいしてくださいね。

 

そうではなくて、上記の事柄がいくつか当てはまった人、もしくは過去にそうだった人。魔物が忍び込んできたっていう記憶がある人。

 

ヨガのために生きてはいけません。
あなたのより良い人生のために、ヨガはあるのです。

ヨガは目的ではなく、手段です。

 

かくいうフナツもヨガを始めた頃は必死でした。うまくなろうって。
で、練習しすぎで怪我をしました。
上手な人がうらやましかった。

 

でも、この「ヨガについて」をずっと読んでもらってる人にはわかりますよね。ヨガはアサナ(ポーズ)がうまくなるためにやるのではない。

 

「うまく」なろう、とか、ヨガが「上手な人」っていう考え方が、もう「ヨガ」というものとはちょっと違うところにいるということが。

 

そして、心に魔物を持っている人、持っていた人へ。悲観することはありません。

「煩悩」や「執着」を捨てる良い機会です。

 

自分の中の魔物に気づけたことを、ステップアップのチャンスと捉えてください。

 

みなさんが、ヨガと良い関係でありますように。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Be happy! Be peaceful!

「ヨガについて」

「その7」へ、つづく。


「ヨガについて」その7

 

2018.8.8

いつもの写真、はい、「ヨガについて、その7」でございます。(その6は、8/2のアップです!)

 

まず最初に告知を、

「第三回ヨーガ・スートラ勉強会」は、9月2日です。

詳細は以下をご覧ください。
https://www.facebook.com/events/269302000486643/

 

ヨーガ・スートラを読みながら、ヨガ哲学の勉強をします。わかりやすく解説します、初歩的な質問、大歓迎です!

 

さて、

 

前回はヨガへの態度について、でした。

 

今回は、アサナ(ヨガのポーズ)についてです。

ヨガはアサナがうまくなることじゃない。

ヨガはアサナだけじゃない、生活全般についての教え、実践すべきことなのです、

と、何回も書いてきたので、ちょっとここらでアサナのことも書こうかと・・・。

 

だって、たいていの人はヨガに入るのに、アサナから入りますもんね。

 

ヨガのイントラさんも、お客さんたちに、アサナやるとこんないいことありますよ、って言いたいですよね。

 

まず、アサナをやって良いこと

 

「呼吸」

もうこれは説明の必要がないほどですよね。

定義としては、「生体が酸素を取り入れ,それを用いてエネルギーを発生し,その結果生ずる二酸化炭素を排出する一連の現象」なわけですが、

実際に身体の諸機能に有効に働くのみならず、精神を落ち着かせたり、自律神経を整えたりと、良いことづくめですね。

ヨガのアサナでは普段の生活では考えられなくらい、深呼吸を何回も繰り返します。

 

「ヨガのポーズができない」と悩んでいる人には、レッスンに来て、深い呼吸ができてるだけでもう十分身体には良いことしてるんですよ、と声をかけてあげたいですね。

 

スリアナマスカーラA(太陽礼拝)を1回やっただけでも(ダウンドッグをカウント5回)、10回は深呼吸できますからね〜。

 

そして、

 

「発汗」

 

みなさん、暑い時に大量に汗をかくのは、ヒトとウマだけって知ってました?

ヒトは、進化の過程で汗をかくことを獲得していったんです。

 

そう、「汗をかく」のは、ヒトが他の動物より進化した結果なんです。

例えば、チーターと競争しても絶対に勝てません。ライオンやクマに至近距離から襲われたら、彼らの方が足が速いし、瞬間的なスピードではまずかなわないので、絶対に彼らから逃げられません。

 

しかし、同じようなスピードで1時間、2時間走れと言われたら、チーターやライオンやクマは走れません。

 

彼らの体毛は保温能力があり、紫外線や細菌、外からの衝撃には強いですが、長いこと運動すると体温が上がりすぎるんです。

 

だから、マラソンさせたらヒトが勝つ。それは汗をかいて体温調節ができるから。

 

地球環境が徐々に変わり、ヒトの祖先が森の木々から降りて草原で暮らすようになり、獲物や食料を求め、長い距離を移動したり、さまざまな活動をするようになった結果、体温調節機能を手に入れることができました。

 

反対に言うと、体毛をなくし、体温調節機能を手に入れたホモ・サピエンスが生き残り、進化して繁栄することができたということです。

 

さらに、汗は体表を弱酸性で保ち、細菌の繁殖を抑えます。

 

また、体内の老廃物の排泄にも関与し、肌の保湿もしてくれます。

 

そう、汗をかくことで肌が清潔になり、肌がしっとりスベスベになるんです!!

 

なんせ、アシュタンガ・ヨガで出た汗は、肌にすり込め、っていうくらいなんです。

 

でも、汗をかいて長時間そのままにしておくと、反対に肌がアルカリ性になって菌が繁殖し、嫌な臭いの元になるので気をつけましょう。

汗をかく汗腺とその機能は、使わないと退化します。

 

朝晩の涼しい時間にエアコンの効いた電車や車で移動し、オフィスはずっと一定の温度、そんな状況にいたら誰でも汗腺が退化します。

ヨガのレッスンに来て、汗腺を活発に働かせましょう、とお声がけください。

 

特に、こんな暑い日が続く時期には、汗をかけないと大変ですね。すぐに熱中症になってしまいます。

暑い季節を乗り切るためにもヨガでっせ〜〜!と、ヨガのレッスンに誘ってみてください。

 

今日のマイソールもめちゃ汗かきました〜!

 

おかげさまでとても快適です。

 

ちなみに、異性を惹きつけるニオイを出す機能も、汗にはあります。(誰でも覚えがありますよねっ!!)

 

あ〜、まで書いただけなのに、長くなってしまいました。

ひとまずこれで終わります。(仕事します・・・)

 

「その8」へ

to be continued.

最後まで読んでいただきありがとうございました〜!

 

「ヨーガスートラ勉強会」にもよかったら来てください!!

 

 


「ヨガについて」その8

 

2018.8.10

本日もマイソール、気持ちよかったです。

 

「ヨガについて、その8」

マイソールに行くまでは、暑いな〜とか、ダルいな〜とか、眠いな〜とか、地下鉄の雑踏が鬱陶しいな〜とか、いろいろあるんですけど、

 

終わってしまうと、

 

清々しい!

 

汗もかいてスッキリ。

 

あまり暑いと感じない!

 

で、終わって、コーヒー飲みながらスタバでのんびりして、PCで仕事少々片付けて、で、こうやってうだうだ書いているのはなかなか幸せな時間です。(ちゃんと読んでくれてる人もいるし)

 

さて、ちょっと「その7」が途中で終わってしまった感じなので、続きを、

 

呼吸、発汗と書いてきましたが、ヨガのアサナ(ポーズ)によって、身体にいいことです。

 

内臓のマッサージ

私たちは内臓に直接触ることができません。もちろん、皮膚、筋肉の上から触ることはできますが、まさに隔靴掻痒。

 

ところが、

 

ヨガにはたとえば、身体を捻るポーズがありますね。

 

あのとき、内臓も雑巾のように絞り上げられてます。

そして濡れた雑巾を絞るのと同様、内臓の中でうっ血していた老廃物を含む血液が、ぎゅーっと絞り出されます。

同時に息を吐いていくと効果は倍増します。
息を吐きながら絞り出していく感じです。

 

次に、新鮮な空気を吸いながら(これも老廃物を含む呼気と新鮮な空気との交換)、身体を徐々に元に戻していくと、うっ血していたものと交換に、きれいな血液が内臓にさーっと戻ってきます。

 

この動作を何度か繰り返すと、とても良い内臓マッサージになります。

 

たまたま、昨日カフェで「アンアン」(7.25 No.2111)を見たら、「本気の腸活」って特集やってたので、興味を惹かれて手に取りました(アンアンめちゃ久しぶりに読んだ)。

 

「腸」の大切さ、「腸」がいかに重要な役割を果たしているかがたくさん書いてあって、

 

フナツもここで何度も「腸」の大切さを書いてます。

 

以前紹介した、藤田紘一郎先生の『脳はバカ、腸はかしこい』って本、ぜひ読んでみてくださいね。

 

で、「腸」を活性化させるための「腸のマッサージ」のことが詳細に書かれてありました。

きっと、アンアンのそのページを開いて、夜な夜な若い女性がお腹をさすったり押さえたりしてるんだろうなと想像すると、ちょっと、ふふふ、って感じでした。

 

でも、

 

ヨガやればいいんだよ〜!

 

ってそういう女性に教えてあげたい。

 

ヨガのいくつかのアサナは「腸」にすごく効きます!

下腹ポッコリを気にしている人、便秘・肌荒れを気にしている人、神経性の下痢に悩まされている人、ストレスで感情の起伏が激しい人、

ポイントは「腸」です!

 

「腸」をちゃんと働かせてあげるといい。
「腸」に刺激を与えるといいです。

 

捻るポーズ以外にも、前屈のポーズだけでも下腹をぎゅっと締めることができます。圧迫して開放することができます。

 

他にも、スリアナマスカーラ(太陽礼拝)のBで、足を前後に開いて沈みこむだけでも、つまり太ももとお腹がぐっと近づくだけでも内臓に刺激を与えます。

パールシュヴァコナーサナ(すいません、わからない人はこれでググってください)なんて、体側を伸ばすポーズだと思っている人が多いと思いますが、フナツは股関節と下腹部に刺激をあたえてくれるポーズだと思ってます。

 

アルダバッダパドマパスチモッターナーサナ(ごめんなさいね〜、そのままコピーペーストでググってください、ああ、あのポーズねってわかりますから)なんて、

 

もうまさに踵で、鼠蹊部と下腹部をマッサージしてます。

 

そして、逆転のポーズがありますね。

 

サルヴァンガアーサナ(ショルダースタンド)、シルシアーサナ(ヘッドスタンド)などは初心者にもやりやすいポーズだと思います。

 

みなさん、普段、内臓はどんなふうに収まってますか?

(骨盤という)ボウルに入っているたくさんのホルモンを想像してください。

皮膚や筋肉という柔らかい容器の中に入っている数々の内臓。

重力はどちらに働いてますか?

 

はい、ずっと下に沈んでいる感じです。うっ血してます。
どよ〜んと、よどんでます。

 

たまにはひっくり返してみましょうよ。

全然違った血液の流れ方をします。
逆転したらとても良い刺激になります。

 

何度もひっくり返ると困るけど、たまには逆向きにして、内臓を無重力の状態にしてあげましょう。緩めてあげましょう。

はい、それが逆転のポーズです。

 

もちろん、先ほど挙げた逆転のポーズには他にもいろんな効力がありますが、とりあえず内臓関係のお話です。

 

あ〜、今日はだけでまた長々と書いてしまいました。

 

「その9」に続く、ということで、

みなさま、よい一日を!

ではでは


「ヨガについて」その9

 

2018.9.25

おなじみの写真ですね。とっても久しぶりです。


「ヨガについて その9」。

イベント続きで、マイソールには行けても「ヨガについて」がアップできない日が続きました。

 

昨日の朝もマイソールで気持ちのいい汗をかいてきました。
(昨日は祝日で人が多かったので、写真は先週水曜日に撮ったものを)

 

だいぶ涼しくなってきたので、8月のように汗が大量に絞り出されてくるというわけではないですが、やはりアサナをやれば汗がマットに滴り落ちます。でもこれが気持ちいい。

 

そして、順番通りにアサナをこなしていくと、だんだん雑念がなくなり無心になっていく自分に気づきます。

ひとつひとつのアサナで自分の身体の各部分を確かめていく過程が続きます。

 

そう、アサナって、いわゆるポーズ、決められた姿勢をとるためのものじゃない。

自分の身体の各部分、筋肉とか腱とか関節とか骨とか内臓とか、そういったものの存在と状態を知るためにアサナがあるとフナツは思ってます。

アサナは「目的」じゃない。

 

身体の諸機能を知り、感じ、整えていくための「手段」なのだと思います。

 

さて、本題に入りましょう。

 

今日書きたかったのは「バランス」についてです。

 

ヨガのアサナではバランスをとるものが多いですね。

昨日も「アルダバッダパドモッターナアーサナ(半蓮華座前屈のポーズ)」の、右足の方で、ちょっとよろけてしまいました。

フナツは右足の太もも前面と右肩がけっこう硬いのです。

 

参考までにどんなポーズかはこちらを、https://flareplus.com/1916

 

右足太もも前面が硬いので、足首をきちんと手前に引き寄せられず、右手を背中から右足指をとるのに回すのも、肩関節が硬いので、右足指をつかむために思わず力が入ってしまうのですね。それが少しふらつく原因です。

 

他にも「ウッティタハスタパダングーシュタアーサナ」、これも最初は苦手な人が多いと思うのですが、手で足の親指をつかみ、前に伸ばした足を横に回すときにふらつくことが多いです。

 

参考までに、https://flareplus.com/1714

 

足を引き寄せる腕の力加減と、伸ばした足の角度のバランスを保つのが難しいです。

他にも木のポーズ(いわゆる片足立ち)とか、ハンドスタンド(逆立ち)、ヘッドスタンド(頭と腕で支える逆転のポーズ)など、たくさんのバランスを必要とするポーズが多いです。

 

そして、

 

実はあまりバランスを必要としないようなポーズでも、たとえばトリコナーアーサナ(三角のポーズ)や、パールシュバコナーアーサナ(体の側面を伸ばすポーズ)ですら、つま先の向き、視線、股関節の角度など、バランスをとりつつポーズを完成させ、呼吸を繰り返していきます。

 

もうお分かりの方もいると思いますが、ヨガは「バランス」というものの大切さ、必要性に気づかせてくれるのです。

 

身体の内部では、内臓から血液、栄養、たとえばミネラルを例にとっても、カルシウムとマグネシウムのバランスなど、とても大切です。

 

身体と心のバランスも大事ですし、心の平衡を保つのもとても大切ですね。

 

ちょっと余談になりますが、身体にいいからとか栄養があるからといって同じものばかりを摂取するのも問題ですね。

 

たとえばビタミンCなんて摂りすぎるとおしっこで出ちゃいます。

高いお金を出してサプリを買って飲んだとしても、身体自身がそれによって体内のバランスを崩すと感じたら排泄するように私たちの身体はできています。

カルシウムがいいからといってカルシウムばかり摂っていると、余剰分のカルシウムと一緒にマグネシウムまでおしっこで排泄されます。マグネシウムが不足するとけっこう大変です。

 

反対に、カルシウム不足だと、身体は骨からカルシウムを取り出してバランスを取ろうとします。(骨がもろくなってしまう〜〜)

 

肉体的なものだけじゃなく、「ワークライフバランス」なんていう流行り言葉もありますね。

 

仕事とプライベートのバランス、大切です。

 

人間関係もバランスだし、

 

大きなことを言うなら、私たちのこの地球も絶妙なバランスの上に成り立ってます。水、大気の循環、空気中の酸素その他のバランスから、地球の自転、月の間の引力による潮の満ち引き。ヴァン・アレン帯やオゾン層などなど。

 

そして、太陽系内のそれぞれの星の公転。

 

数え上げればきりがないです。

 

話が広がりすぎましたね。

 

そうです、「バランス」って大切ですね。

 

バランスをとること、バランスに気をつけること、私たちは絶妙なバランスの上に生きていること、そんなことをヨガをすることによって学べると思います。

物事の表面、見えている部分だけとか、現れている部分だけで判断したり、一部分しか見ないで評価したりとかっていう精神的な部分でもバランスを取りたいと思います。

 

ヨガをすることによって見えてくるもの、

 

続きはまた次回。

最後までおつきあいありがとうございました。

ではでは、


「ヨガについて」その10

 

2018.10.4

「ヨガについて、その10」

 

今朝はちょっと肌寒かったですね。
先日までの厳しい暑さが、もうはるか昔のようです。

 

こちらのハーノヨガスタジオさんは伏見にあるんですが、そこまでの電車でビーサン履いているのはフナツただ一人(オフィス街だし当たり前なんですけど)。なんか寂しい。

 

さて、前回は「バランス」について書きました。

 

今日はその続きです。

 

ヨガをやって得たことはいろいろありますが、その中でも、

「ほどほどに」
「頑張りすぎない」
「力を入れるのではなく、力を抜く」
「強い思い入れ、その他を手放す」

 

この辺りが「バランスをとる」ことにとても役に立っていると思います。(ヨガをやっている人ならわかると思いますが)

「さまざまなこと」を「ほどほどに」やることを覚えて、まさにその「さまざまなこと」がうまくいくようになりました。

 

そして逆に、ヨガを長く続けられているのは、そのヨガを「ほどほどに」やっているからです。

人生において、日々の暮らしにおいて「頑張りすぎない」ことを覚えてからは、無理しないようになりました。いろんな局面において無理をしないことは大切です。

 

頑張るのはいいですが、頑張りすぎるとろくなことはありません。

 

これまでは何かやろうと思うと「力が入って」ました。「力を抜く」ほうがスムースに物事が運びます。

 

「強い思い入れ」があると、思うようにならないと、とても苦しい思いをします。そして、たとえうまくいったとしても「もっと」と際限がなくなります。

ヨガをやるようになって、たとえば、アサナをやるときに「ほどほどに」しておかないと怪我をします。

 

実際に、「もう少し曲がるはずだ」「もう少しで手が届く」なんて感じでやっていると間違いなく怪我をします。関節を痛め、腰を痛め、肩を痛めます。

アサナの途中で「頑張る」のは一番良くないです。

 

フナツは(ほとんどのヨガのイントラさんもそうだと思いますが)、ヨガのクラスの前に参加者に声をかけます。

 

「頑張らないでくださいね」

 

初めての人はきょとんとします。
日常生活では常に「頑張って」って言われているから。

 

日本人って集団に合わせようとする人が多いし、ヨガのクラスに来る人って基本真面目な人が多いので、ついつい頑張ってしまいます。

 

ヨガのクラスに来る人って「ヨガによって何かを得たい」と思っている人が多いんですよね。

 

当然、何かを得るために頑張っちゃう。

 

頑張りすぎない。

 

自分が気持ちいいというところで止める。

 

ヨガをやっているとだんだんそんなマインドを持ち始めます。

「よし、このポーズをとるんだ」って力が入ると、余計筋肉や関節が固まってしまいます。

手を伸ばそうと力を入れると、伸びない。

 

力を抜くと、スッと伸びていく。

 

当たり前ですね。力を込めて筋肉が固まるか、力を抜いて筋肉を柔らかくするのか、ですから。

 

ヨガをやると、「力を抜く」ことの大切さがわかる。
特に、呼吸とともに力を抜いていくということが実感としてわかるようになる。

 

「強い思い入れ」が手放せると楽です。

 

「こうだから、こうなんだ」って言う思い入れは、視野を狭くします。

瞑想して、ゆったり呼吸して、自らの思いを振り返ると、煩悩やら何やらでいっぱいになっているのが見えてきます。

瞑想の途中にほっぺたが痒くなってきた、そういうときは、

 

「あ〜、ほっぺたが痒いって思っている自分がいるな〜」

 

というように、もう一人の自分が、痒がっている自分を意識します。

瞑想しながら、いろんな思いを手放すことを繰り返していれば、自然と「強い思い入れ」「こだわり」「こうであらねば」といった思いがどんどんなくなっていくのを感じます。

 

そんなこんなで、「バランスをとる」ことがだんだん簡単にできるようになっていくのですね。

 

あ〜、また長くなってしまいました。

 

もう一回くらいバランスについて書きたいですね。

次は「Addiction」がなくなっていく、ことについて書こうかな。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

ではでは、

 

P.S. 
ちなみに、写真中央右の、シュッシュッってやる霧吹き。
何のためにあるかわかりますか?

汗で濡れたマットに水を吹きかけて吹くため。はい、それも正解ですけど・・・。

フルプライマリーやってる人にはわかりますよね。

ガルバピンダーサナで、組んだ足の間に手を通すときに、シュッシュッてやるんです。
https://www.instagram.com/explore/tags/ガルバピンダーサナ/?hl=ja

あ、フナツはこのアーサナはできません!
いつかチャレンジするかもですけど。

 


「ヨガについて」その11

 

2018.12.14

お久しぶりで「ヨガについて」、

 

あ〜、何回めか忘れましたぁ、11回めくらいかなぁ。

 

ちょっとこのところいろいろ忙しくて、練習に行くのが週1くらいになってます。おまけにマイソールに行ってそのまま授業とか、終わった後すぐに打ち合わせとかもあって、ゆっくり書けませんでした。

 

やっぱりヨガの練習後は、お茶飲みながら1時間くらいぼーっとするのがいいですね〜。

 

そしてその週1の練習すら行けない週もあって・・・、

 

でも寒い朝、「あと5分だけ」って布団の中でぬくぬくって、ホントに気持ちいいですよね〜。

 

ははは、また前置きが長いですね。

 

さて、ヨガについて、

 

今日も練習していて感じましたが、ごく普通に現代に暮らす私たちは、身体には様々なパーツがありますが、動かしてない部分がとても多いですね。

すぐに車に乗るし、電車通勤。歩くのはせいぜい数キロ。走ることもあまりないし、肉体労働をしていない人も多い。

 

いつも猫背で(特にスマホ見てる姿、私たちはいったい1日にどのくらいスマホを見ているんだろう?)、決まった歩幅。

大きな声で叫ぶことも少ないし、深呼吸すらしていないかも。

 

数えあればきりがないですが、そうやって身体を十分に動かしていないことすら意識できてないかもしれません。

 

身体は動かしてもらいたがってます。

 

深い呼吸。

 

身体のすみずみにまで血流が行き渡るような動き。

 

そして筋肉は、ある程度の負荷が常時かかっていないと、どんどん萎縮していきます。

テレビで健康に関する様々な番組が放映され、血液をサラサラにするとか、腰痛を治すとか、生活習慣病にならないようにとか、その他いろいろを予防する運動などが紹介されてますが、

 

これヨガの動きじゃん、これヨガのアーサナだよね、って、
きっとヨガをしている人なら思うはず。

 

もっとたくさんの人がヨガをやるといいなぁ、って思います。

でも、もちろんヨガは万能じゃないです。

 

ヨガをすればすべてがうまくいくというわけでもない。

 

たまたまフナツにはヨガが、それも今練習しているマイソールスタイルのアシュタンガヨガがうまくライフスタイルにはまっていていい感じ、というだけです。

ヨガの良さを実感する、でもヨガの良さを過信しない。

 

その人のライフスタイルにヨガがぴったりはまればいいな、と。

 

そして、もう一つ。

『ヨーガ・スートラ』の第二章「実践」の最初の部分に出てきますが、

1、行為のヨーガは「苦行」、「自己の探求」、「至高の存在への祈念」から成る。(グレゴール・メーレ『現代人のためのヨーガ・スートラ』)

この中の「苦行」というのを誤解している人がいるかもしれません。

 

ちなみに、『ヨーガ・スートラ』の第一章は、心を集中することについて書いてあり、第二章には「散漫な心」を持つ初心者に向けて「活動的」な行為のヨーガのことが書かれています。

 

ここでの「苦行」というのは、お釈迦様がやったような身体をいじめ、身体に苦痛を与え、ギリギリまで身体を鍛える、というようなものではありません。

 

「苦行」(タパス)とは、極端な形を取るものではなく、簡素であることを意味する。(メーレ)

 

そして続けて、

 

幸せになるために唯一必要なのは自分自身の本当の姿を知ることであるという事実を受け入れること。(メーレ)

とあります。(まるでアドラー心理学だ!)

 

簡素な生活を送れば心は集中する。

 

「苦行」は私たちを強くして、貪欲とぜいたくは私たちを弱くする。(メーレ)

欲望の虜になって、特定のものが必要であると信じれば信じるほど、ますますそれに頼るようになるわけですね。

簡素でいれば、それだけ自由になれる。

 

この「簡素であること」が、行為のヨガ、つまり私たちが日常見ているような「身体を動かすヨガ」で実現されると説いているのです。

それが「苦行」です。

 

だから、自分の身体をいじめるようなヨガはあまり良くないと思います。

 

『ヨーガ・スートラ』では、体育会系のしごきや肉体を極限までいじめる修行を推奨しているわけではないのです。

 

特にアシュタンガヨガの初心者が陥りがちなのが、関節や筋を限界まで曲げ伸ばしをするような「運動」です。

輪ゴムを持って限界まで引っ張ると、真ん中が伸びるよりも、持っている手の方からパチンと外れます。

筋肉を伸ばすよりも、腱、筋肉と骨のつなぎ目のところがパチンと弾けちゃいます。

 

「活動的なヨガ」とは、肉体の浄化を目指すものです。

 

ひとまず今日はこの辺りで。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

このところ毎月「ヨーガ・スートラ勉強会」を開催しているので、また最初から読み直すことができて、フナツ自身もとても勉強になってます。

今月の『ヨーガ・スートラ』勉強会は今週末16日です。
https://www.facebook.com/events/321738891890166/

 


「ヨガについて」その12

 

2018.12.28

寒くなってきましたね〜。


みなさま、年の瀬いかがお過ごしですか?

 

はい、2018年最後の「ヨガについて」
(いつも長い書き込みですいません、今日も長いです)

 

今年も、ほぼ定期的にマイソールクラスに行けたかなと思います。(だいたい週2ペースだけど・・、忙しくて行けなかった週もあるから1年で平均すると週1くらいかな〜)

 

本当にこのマイソールスタイルのクラスがあるおかげでフナツはヨガが続けられています。ありがたいことです。

haano yogaさんにも、Ban先生、千草さんにも感謝。

 

「マイソールクラス」とは:haano yogaさんのHPより。(初めて読む人のために。知ってる人は飛ばしてね)

***
このクラスは、「マイソール・スタイル」というアシュタンガヨガの伝統的な練習方法をベースにしています。

アシュタンガヨガは、一定のポーズの順番、初心者であればプライマリーシリーズというアサナ(ポーズ)の流れが決まっているので、このクラスでは、それらを自分のペースで練習できます。講師はそれを見ながら一人一人に、必要と思われる時に随時、調整(アジャスト)を加え、指導していきます。

haano yoga studioでは、このマイソール・スタイルのクラスがほぼ毎朝(火曜日以外)設定されています。朝7時から10時までの間であれば、好きな時間に来て、空いたスペースにマットを敷いて始め、自分の好きな時間に終えることができます。

決してアシュタンガヨガのプライマリーシリーズをすべてマスターしている必要はありません。自分ができるアサナ(ポーズ)のみでもいいのです。他の人のことを気にする必要もありません。各自がめいめいに練習をしているので、いつでも講師をつかまえて疑問点を質問することができます。
あくまでも自分が気持ちのいい時間を過ごせればいい、そのためにマイソールというクラスがあるというのが当スタジオの方針です。
***

 

また前置きが長いですね。

 

今日もちょっと「ヨーガ・スートラ」から引用しましょう。

 

1-14章句の番号です)

「しかるに、それ(実修)は長い時期、絶え間なしに戒慎して実践したときには、堅固な境地に達する」中村元『ヨーガとサーンキヤの思想』(中村元選集第24巻)春秋社

中断することなく、実践を続けることが大事ということですね。

 

「継続って難しい」って考えている人に、フナツはいつでもこうアドバイスします。(前にもここで書いたかもしれませんが)

 

「三日坊主で恥ずかしい」って、三日も続いたじゃないですかぁ!

「一年に一回なんてやってるうちに入らないですね」いえいえ、それを10年続ければ立派に継続してますよ〜!

 

ねっ!継続って簡単です。

 

そして継続が大事なのは、私たちは進歩したかと思うと、前の状態に後戻りすることもあるからです。

 

本当に安定した状態に至るために、長い間中断することなく、心を傾けて実践することが大事なのですね。

 

そして、実践したから、継続したからどうなる、ってことをあれこれ考える必要もないのです。

 

『バガヴァッド・ギーター』にも、

「すべての行為は至高の存在によってのみ遂行され、行為の成果や結果は至高の存在のもの、結果に期待しない」って書かれてます。

結果を思うことなく行為に集中せよ、ですね。

 

そして、メーレの注釈書にはこんな風にも書かれています。

 

***
利口な人間は、「疲れている時、疲労困憊で練習する時間も元気もない時に練習したところで健康に害があるだけだ」と言う。

この言葉は道理にかなっているように聞こえるが、なぜ疲労困憊で練習する時間も元気もないのかを自答すべきである。

金銭を求めすぎている?夜遅くまで活動している?十分な休息がとれていない?

(中略)

中断されない実践とは、絶えず実践することである。

しかし、一定時間行う正式な練習ということではなく、一瞬一瞬に心をこめて、気づきを高めていくことなのである。
***

 

グレゴール・メーレ『現代人のためのヨーガ・スートラ』伊藤雅之監訳、加野敬子翻訳、産調出版

「間違った態度」で練習している人もいる、とメーレは言います。

 

***
・他人に望まれるように、よい体に鍛えなくてはならない。
・他人よりうまくポーズができるように練習すれば、自分は他人より優位になると考える。(ポーズだけではなく、瞑想やサマーディの実践についても同じ)
・肉体的に、精神的に、あるいはスピリチュアルな点において、他人より有利になりたいために練習する。
***

 

うん、あまりいい態度じゃないですね。

 

さらに、心を傾けて実践するとは、実践ができることに感謝の気持ちを持ち続けるということ。

 

はい、ヨガができること、ヨガが継続できる健康な体で居られることに感謝です。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

 

また来年も「ヨガについて」におつきあいくださいね。

あ、新年の「ヨーガ・スートラ勉強会」は、1月13日18時より短歌会館です!
https://www.facebook.com/events/275297279854723/?ti=icl

こちらもよろしくお願いします!


「ヨガについて」その13

 

2019.1.4

ヨガあけましておめでとうございます。

 

新年初のマイソールです。(マイソールが何かについては12/28に書いたのでそちらを見てくださいね〜)13

気持ちよかった〜。

 

で、泥江縣神社さんにも新年のご挨拶をして、いつものスタバです。

 

さて、2019年最初の「ヨガについて」。(13回目くらいかな〜)

 

ペース的に「(月に一度のエッセイ)ヨガについて」になってますが、週に一度くらいにしたいものです。

 

さて、また今日もなんだかんだと長くなってしまいました。
リラックスして読んでくださいね。

 

今日は、全然違う分野っていうかカテゴリーの本から引用してみます。とても「ヨガ的」だったので。

 

みなさんは星新一という作家をご存知でしょうか?

 

短編集「ボッコちゃん」とか「お〜いでてこ〜い」などのショートショート、たくさんのSF作品で有名ですね。読んだことのある人も多いと思います。

しかし、星さんには歴史を題材にしたノンフィクションにも素晴らしい作品がたくさんあるのです。(これは末尾に紹介しますね)

「え、なに?ヨガの話じゃないの?」って思ってる方も多いかもしれませんね。すいません、もう少しだけお付き合いください。

その、ノンフィクションや歴史物にも、素晴らしい作品がある星新一さんの短編集に『殿さまの日』新潮文庫というのがあります。(題名の通り時代物です)

その中に、江戸時代の、中くらいの外様大名のお殿様の日常を描いた表題作がありまして、淡々とした筆致で読みやすく、そして時代考証もしっかりした作品(ここ大事)なんですけど、

そこからの引用です、って書きたかった〜〜!

 

いつものように長い前置きですいません。

 

その若いお殿様が、武士のたしなみとして弓術・槍術の稽古をするシーンがあるのですが、お殿様の独白として以下のような語りがあります。

***
(若い頃は)的に当てることだけに熱中したものだ。
しかし、いまはそうではない。修養、いやいや、そんな意識はない。ただ弓を引きしぼり、矢をはなつだけだ。的に当てようと思ったからといって、当たるというものでもない。心の澄みかたと身体の調和との一致として、的に当たる。きょうは、最初のうち矢が乱れる。これではいけない。邪念が残っているからだろう。姿勢を正すようにつとめる。すると、しぜんに邪念が消えていく。邪念というやつは、消そうとしても消えるものではない。追い払おうとすればするほど、まとわりついてくる。だが、的に向かって精神を集中し、姿勢を正すと、邪念は薄れていってしまう。ふしぎなものだ。矢がつるをはなれた瞬間に、すでに手ごたえを感じるようになる。いつのまにか、さきほどまで心のなかでもやもやしていたものが、なくなってしまっている。なにをあれこれ悩んだのかさえ、もはや思い出せない。(p.49
***

 

どうでしょう?

 

フナツはとてもヨガ的だな〜と思いながら読みました。

 

アサナ、そして特に「瞑想」に関しては、こういう境地なんですよね〜。

 

さらに、「殿さまは一流の指南番に、基本から教えこまれた」ので普通の武士より強いとして以下のように続きます。

***
江戸城へ登城する時、大広間で顔をあわせる他藩の大名たち。そのなかにすきだらけの者がいる。おそらく病弱のため、武術の稽古をしていないのだろう。かんがにぶく、威厳に不足している。精神的な贅肉がつきすぎている感じ。気の毒なものだと思ったものだ。しかし、殿さまは武術を習いつづけるうち、他人をそのような目で見るのは、こちらのすきでもあると気づいた。優越感こそ、最大のすきであり、弱点である。そこで、そのような心を押さえるようにつとめ、意識せずにそれができるようになった時、剣術の指南番にはじめてほめられた。このところ、一段とご上達なさいましたと。殿さまのほうも、その時はじめて目の前が開けたような気になった。(p.50~51)
***

 

おお〜、って思いません?

 

ヨーガ・スートラにも同じようなことが書いてあるし、フナツもこの「ヨガについて」で何度も書いてることです。

 

これらのことを踏まえ、

今年もまた「ヨガ」という素晴らしい「手段」を使って、自分を整えていきたいと思います。(ヨガをすること自体が「目的」じゃなくて)

 

「ヨガについて」、これからも続きます。

 

また今年一年ご愛読をよろしくお願い申し上げます。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

以下は興味のある人だけ読んでください。

 

上で書いた星新一さんのノンフィクションです。

フナツの博士論文のサブテーマは「明治知識人の思想と哲学」でありまして、これらの作品はとても助けになりました。

・『人民は弱し官吏は強し』新潮文庫:「星製薬」という製薬会社の創立者、実父である星一の栄光と悲劇を描いたノンフィクション。

・『祖父・小金井良精の記』河出文庫:星新一の母方の祖父、小金井良精の伝記。幕末から明治・大正・昭和と続く大作。日本の解剖学の父であり、妻は森鴎外の妹だったという祖父の話です。(なんと星新一は森鴎外の血を引いているのです!)

・『明治・父・アメリカ』新潮文庫:星の実父、星一の少年・青年期を描いたもの。

・『明治の人物誌』新潮文庫:星の父とかかわりのあった明治期の10人を伝記にしたもの。10人の内訳は、中村正直・野口英世・岩下清周・伊藤博文・新渡戸稲造・エジソン・後藤猛太郎・花井卓蔵・後藤新平・杉山茂丸。(はい、ご存知の方もいるかもしれませんが、フナツは新渡戸稲造について論文を書いています、その新渡戸の先輩であり恩人が後藤新平です、他の人に関しても語る機会があるといな〜)

・『夜明けあと』新潮文庫:「文明開化」の明治時代の世相や風俗を扱った新聞記事を1年ごとに整理して紹介したもの。(ご存知、島崎藤村の『夜明け前』をちょっと皮肉った題名です)

 

どれも読み応えあり、です!

 

ではでは、

 

あ〜、もう一つ追加、

ヨガ哲学を勉強する会「ヨーガ・スートラ勉強会」は、
1
13日夜です!詳細はこちら。

https://www.facebook.com/events/275297279854723/

よろしくお願いしま〜す!


「ヨガについて」その14

 

2019.1.14

新年2回目の「ヨガについて」

 

ちょっと忙しくて・・・、金曜の写真です(アップできてませんでした)。

いい汗かきました。

 

いろいろ身体を曲げ伸ばしして、血流その他もスッキリ。

 

そして頭が空っぽになって爽快な気分でした。

 

また普段の生活に戻るといろんなことで頭がいっぱいになるのですが、ほんのひとときでも、頭と身体がスッキリする時間が持てて幸せです。

 

さて、また前置きが長くなる雰囲気なんですが、少々おつきあいください。

 

先日「ためしてガッテン」という番組を見る機会がありまして(普段テレビはほとんど観ないんですが、内容が面白くて最後まで見てしまいました)、

紹介されていたのは、岩手県の大迫町(おおはざま、だったと思います)という小さな町で、そこが世界の医学界で有名であるという話でした。なんでも、その町の人口数千人の血圧他のデータを21年とり続けていて、これは世界的に見ても珍しい貴重なデータらしいのです。

そこで明らかになったのは、高血圧が病気の原因になるということの他、脈拍数もあまり高いと良くないらしい。

 

そこで連想されるのは、脈拍数が低い象は長生き、高いネズミは短命ということで(有名な本があるくらい)生物の脈拍数、つまりその生き物の一生涯における心臓の拍動の数は決まっているなんて話もあります。

 

じゃあ、人間でも脈拍数(心拍数)が高いと短命、低いと長寿なのかという話で、実は相関関係にあるらしいです。

詳しい話は省きますが、脈拍が高まるのは緊張したときや危険が迫っているときなのに、病気になる可能性の高い人、つまり短命な人は、安静時でも脈拍数(心拍数)が高い傾向にあるらしいのです。

 

そこで、長生き、健康のために脈拍数(心拍数)を下げるテクがありますと番組で紹介されていたのが以下の方法。

 

まず床に仰向けになって寝ます(出演者全員がスタジオの床に寝転がります、ヨガマットらしきものが敷かれていました)。

そして、静かに目を閉じ、手のひらを上向きにして少し体から離し、足は肩幅くらいに広げ、深い呼吸(番組では8秒で吸って8秒で吐くくらいと説明されてました)をする。

 

それを数分続ける。

 

出演者が口々に「あ〜、気持ちいい」とか「リラックスできる〜」なんて言ってました。

 

もうここまで読んだら分かりますよね、

 

「シャバアサナ」じゃん!

 

まるっきり「死体のポーズ」でしょ!

 

はい、天下のNHKが番組内で、そして権威のあるお医者さんをゲストに呼んで、もっともらしく「長生き」のため「健康のため」と称して紹介するテクニックが、

 

「シャバアサナ」なわけです。

 

他のテレビ番組でも同様のことがありました。

名のあるスポーツトレーナーや整体師の方、またお医者さんが勧める、健康のための「運動」というのが、まさにヨガの一つのポーズ、アサナだったりする。

 

ヨガのアサナに著作権はないからな〜。
誰でも「自分が考えました〜」って言えちゃう。

 

ヨガを知らない人にしてみれば「あ〜、こういう運動をするととても気持ちいいわ〜」ってな感じです。

 

はい、ヨガのアサナには深い叡智が隠されています。

 

ははは、また前置きが長かったですね。

今日はこのくらいにします。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

あ、本日開催された(あー、もう昨日だ)「ヨーガ・スートラ勉強会」のまとめ&振り返りは、またアップしますね〜!


「ヨガについて」その15

 

2019.1.25

「ヨガについて」、新年3回目かな〜。

 

毎朝寒いですね。

 

マイソールクラスは基本朝なので(夕方にも週に1回ありますが)、寝坊すると行けません。

寝坊しなくても、暖かい布団の中から出られなかったり、もうちょっとだけ、って二度寝すると、もう行けなくなったりします。

 

冬のマイソールクラスは「自分との戦い」ですっ!(なんてね)

 

早起きが得意な人が羨ましいです。

 

朝、目が覚めちゃったら、もうそれ以上寝られないから起きるって人は、もうホントにすごいと思います。

 

フナツは過去に朝寝坊のせいでいろんなことを失っているような気がします・・・・(遠い目)。

 

閑話休題、

 

はい、行きたくないな〜、なんてグズグズしてても、行けば気持ち良いのが「ヨガ」です。

今朝もとても気持ちの良い時間を過ごすことができました。
haano yoga
さん、いつもありがとう。

 

みなさん、特に冬は、普段寒さでどうしても身体が縮こまってしまうので、ヨガで身体をゆったりと伸ばしてあげると良いと思います。

冷え性の女性にはヨガが特に効きますよ。

 

いつもスタンディングの最後の方で、アルダバッダパドモッターナアーサナやってるときに、立位の半蓮華座で組んでいた足を下ろすと、血液がさーっと足先まで流れるのを感じます。

 

それまで立っていた片足と、下ろした足の色がまったく違うのです。

血液が身体の隅々まで回っているのが実感できます。

 

あ、もちろん、アルダバッダパドモッターナアーサナをやれとか、できるようになれっていってるわけじゃなく、一つの例です。

 

他のごく簡単なアーサナでも、十分に手先・足先に血が巡ると思います。

 

そして、ヨガをすると体温が上がります。

体温低めだと、いろいろ身体の不調が出てくるらしいですよ〜。

 

そして、ヨガに行くときは、背中を丸めて「さぶ〜っ!」って歩いているのが、

ヨガから帰るときは、背筋がシャキッて伸びてるのがわかります。首筋もかな。

 

ちゃんと背骨がキレイな「Sの字」を描いているなってわかるんです。

 

外気温は全然変わらないのに、自分の身体が変わってるんですね。いつもそれを実感します。

 

えっと、それから、今から書くことは誰にもお勧めできるわけじゃなくてフナツ個人がとてもいい感じになってるというだけなんですが、

 

マイソールクラス、特にアシュタンガは事前にご飯を食べないで行くのが原則です。

胃の中が空っぽになっている時が一番身体が動くからです。

 

みなさん、「消化」ってものすごくエネルギーを使うって知ってました?

 

アシュタンガヨガをやるときは。「消化」にエネルギーを取られず、アサナにエネルギーを向けたいのです。

だから、マイソールスタイルのクラスは、消化がほぼ終わった後の、消化器官に食物が残っていないであろう「朝」なのです。

 

当然、朝ごはんは抜きで行きます。

 

暖かいお茶を持参して、マイソール前に少し、終わった後にまた少し飲みます。

 

終えてすぐにご飯を食べてもいけないので(2時間ほど空けると良いと言われてます)、

これも、せっかくヨガで良いエネルギーが体の中を循環しているので、消化に使うのはもったいないってことです。

え〜と、そうするとお昼になります。

 

少し遅めのランチ、そして夕食はなし。

 

このスタイルが、とても身体の調子がいいのです。

 

あ〜、真似して不調になったらすぐにやめてくださいね。

 

フナツは、マイソールに行かない日でも、朝食少し(午前中から授業がある日は何か食べてないと)、ランチ遅め、夕食抜きっていう日が多いです。

夜にビール、ちょっとおつまみって日ももちろんあります。
ははは。(ポテチもたまに食べちゃいます)

 

ついでに書いておきますと、

 

フナツは「ヨーギ」です。

ヨガをする男性を「ヨーギ」と言います。
女性は「ヨーギニ」です。

 

ちなみに、それぞれ「ヨギー」「ヨギーニ」っていうのが一般的ですが、実は違います。(そうやって言ってる人にあえて間違ってるよなんて言いません、呼び方なんてその人の自由だから)。

 

「ヨガ」のことを、「正しくは<ヨーガ>っていうんですっ!」

って目をキリリとさせて言ってる人がたまにいますが、

 

同じ口で「ヨギー」とか「ヨギーニ」って言ってる。

 

ヨガの「ヨ」を「ヨーガ」って伸ばすんなら、「ヨギー」って言わずに「ヨーギ」って言えよ、って、はい、口に出しては言いません、もちろん。

 

そんなこと言ったら怒られそう・・。

 

あ〜、また脱線しました。

 

はい、フナツはヨーギです。

でも肉や魚をガンガン食べます。

 

また「ヨガ的食事」のことはゆっくり書きたいと思います。

 

またまた長くなってしまいました。

 

今日は「ヨーガ・スートラ」と「仏教」の絡みも書こうと思ってたんですが、また明日書きます。

いつものごとく、最後までおつきあい(読んでいただいて)ありがとうございます!

まあ、ヨガは気持ちいいよってことで。


「ヨガについて」その16

 

2019.1.30

後期のテストも終わり、採点結果も提出して、来週(来月)から春休みです。

ここ数日は、それらと並行して4月からの授業のシラバス作成&提出にも時間を取られてました。

詳しいことは省きますが、ここ数年大学の講義のシラバスの内容が、書かなくてはいけないことが増えてきてかなり大変なのです。

まあ、それも終わり、やっと本の原稿やテキスト作りに専念できそうです。(はい、原稿かなり遅れてます・・・、明日からまた頑張りますです!)

さて、また前置きが長くなりました。

 

「ヨガについて」

いつものごとく気持ちのよい汗をかき、縮んでいた身体の各部分を思い切り曲げ伸ばししてきました。

 

えっと、終わったあとは、

もし巨人がいたとして、その巨人の右手に手を、左手に足を持たれて、ぎゅーっと左右に引っ張られ、そして捻られて、今度は反対に捻られて、身体全部を手のひらでモミモミされて、って感じです。

あはは、わかんないですか?
そうですよね〜、変な例えだったかもしれません。

でも、終わってシャバアサナしてるときは、ホントそんな感じなんです。

そして、

これは以前にも書きましたが、アシュタンガのハーフプライマリーというのは、ポーズも順番も決められていて、それを毎回繰り返します。

普通、ヨガのレッスンというのは、参加者が飽きないように毎回少しずつ内容を変えたり、参加者の習熟度によってインストラクターが内容を調整したりするものです。

まさにレッドクラス、

「赤いクラス」ではありません。

「lead 導く」という動詞の過去分詞形「led 導かれる」という(準動詞の分詞は、現在分詞は能動態、過去分詞は受動態として訳されます、はい、英語が苦手な人はスルーで)インストラクターがインストラクトするクラスですね。参加者がインストラクターに「導かれる」クラスなんですね。

でも、自主練であるマイソールスタイルのクラスはいつも同じことしかやりません。

決まり切ったことを繰り返していると思われるかもしれません。

それをつまらないと思う人もいると思いますが、実は、毎回同じことをやることによって、今日は調子がいいぞとか、ここが前回より深まっているなとか、このポーズはここまで出来るようになったなとかがとてもよくわかるのです。

自分の身体の今の状態、前との変化の具合。

もっと言うなら、ほんの数ミリのポーズの深まり具合、違うアポローチでポーズに入ったときの身体や筋肉、腱の動きの違いがとてもよくわかるのです。

そんな、ほんのわずかな身体からのメッセージを受け取る、よく「身体の声を聞く」と言いますが、この身体からのメッセージに敏感になることが、実はヨガだったりします。

もちろんその反対もあります。

前よりできなくなっている、前にできたことができない、身体が固まってしまっている、痛みが伴う、気持ちが入っていかない、などなど。

でもそれをダメだと思わず、そういうものだと思う。

三歩進んで二歩下がる、の境地ですね。

そんな、身体の不調を感じとること、さらにそういう不調と寄り添っていくことも大事です。

そんなことを感じながら、ヨガしてます。

数え上げればきりがありませんが、

太陽礼拝Aでまず腕を上げたときの肩の回り具合に始まって、ダウンドッグのときのハムストリングスの伸び具合、チャトランガのときにが滑らかに身体が移行するか、マットへの足指のかかり具合はどうか、トリコナーアーサナのときの臀部の張り具合、プラサリータのときの股関節の開き具合、などなど、それぞれのポーズでそれぞれたくさんの気づきがあるのです。

ハーフプライマリー全部なら、何十どころか、何百の気づきを得られると思います。

あはは、アサナやりながらきちんと数え挙げてるわけじゃないです、いちいち意識しているわけではないです、もちろん。

ほぼ無意識です。

でも感じ取っているのは間違いない。

そして、無理のないよう、でも可動域の、そのリミットの少し手前まで、呼吸を続けられるくらいのところで、その手前で止まる。

あ〜、どんどん書いていきそうなので、このくらいにします。

お付き合いいただきありがとうございます。

また、ヨガと仏教のこと書けなかった。
また今度ということで。

ではでは、

あ、次の「ヨーガ・スートラ勉強会」は、2/10です。
https://www.facebook.com/events/242880783276115/

ヨガについて勉強したい方は是非来てください。

ヨガの勉強に関しては、ヨガの習熟度は関係ありません。
初心者だろうと、イントラだろうと同じです。

一緒に勉強しましょう。


2014年4月22日の記事アップ(tanakomo)です。

 

昨日のブッダの言葉の記事の佐々木先生の解説から、本当に読んでいただきたいところをもう一度改めてアップします。

***
私たちは愛情や成功など世俗的な価値を手に入れようと願い、それが手に入ると喜びます。しかし手に入ったとたん、今度は失うことが心配になるし、いずれは必ず失うことになる。したがって、これらを得ることは実は苦しみのもとなのです。

しかし修行に打ち込んで執着を捨てることのできた聖者は、所有物を失う心配から解放される。そして、仏道修行による自己鍛錬の道を一歩一歩上っていく、その達成感が日々の喜びになります。それは、会社で毎日がんばって昇進していく喜びにも通じるものです。

そういう修行の生活が現代に生きる私たちにも可能かといえば、十分可能です。出家は修行を効率化するための手段ですが、出家しなくても修行はできます。

たとえばアメリカでは、仕事を終えたあと、夜、暗くした部屋でスタンドの明かりだけをつけて瞑想する「ナイトスタンド・ブディスト」と呼ばれる人たちが約300万人もいると推定されています。これは日本のビジネスマンにも応用できるでしょう。たとえば会社でイヤなことがあった日。酒を飲んで忘れてもいいけれど、それでは何も変わらない。それよりも1日の終わりに静かに瞑想して、その日にあったいろいろなことを再解釈する時間を持つ。こんなことがあったけれど、別の見方をすればこんなふうにもとれるな……とその出来事をきれいに濾過していけば、少なくともストレスを翌日に持ち越すことはない。やがてそれが習慣になり、瞑想しなくても自然にそう考えられるようになれば、幸せになれるのは間違いありません

もし悩みを抱えるビジネスマンに、仏教が何か提言できるとするならば、「今の世の中の価値観とは違う、別の価値観もあると知っておいてください」ということです。たとえば企業の価値観に沿って生活するうちに、壁にぶつかることもあるでしょう。企業のあり方や世の中の仕組みはすぐには変えられませんが、自分の価値観を変えることで、今まで苦しみだと思っていたものが苦しみでなくなる可能性はいくらでもあります。
***

仏教は「心の病院」である、というのが佐々木先生の提言です。

 

 

 

 

2014年4月21日の記事アップ(tanakomo)です。

 

ブッダの言葉「苦しみを消すには、自分自身を変えるしかない」

(プレジデント 4月20日号より)

 

ブッダの言葉に一番近いといわれる『ダンマパダ』からの言葉が引用されています。

まあ、プレジデントという雑誌自体がビジネスパースンを対象としていながら、かなり自己啓発的な要素が多いからかもしれません。

以前ここで、小池龍之介さんの『超訳 ブッダの言葉』や、アルボムッレ・スマナサーラさんの一連の著作を紹介しましたが、ブッダの教えが少しずつメジャーになってきているような気がします。

でも、こういうブッダの言葉を大企業の幹部や中間管理職の方々が真剣に読んでいるところを想像すると、なんか少し微笑ましいというか、「大丈夫ですか?」って言いたくなりそうな気もします・・・。

 

 

 

 


2013年7月21日の記事アップ(tanakomo)です。

 

もうひとつだけ、先日の本から。

「ホント世の中って、バカばっかり」と(自分を勘定に入れずに)愚痴・文句を言う「バカ」にならぬよう自戒の念をこめて。

山岡鉄舟がまだ若かった頃(鉄太郎の頃)の話です。

父が亡くなり、その父の赴任地でありそれまで育った飛騨高山の地を離れ鉄舟は江戸へ帰りますが、その別れの宴でいろいろな人から父への毀誉褒貶を聞かされ、鉄舟は心が沈んでいきます。そのとき剣の師から以下のように言葉をかけられます。

***
「どうした。何を考え込んでいる」
宴席でぽつねんとすわっていると、井上清虎が声をかけてくれた。
「はい・・・・」
思っているとおりのことを口にすると、小さくうなずいた。
「われの思うわれと、人の思うわれは違うもの。その隙間に、なんのかまえもなく断つことこそ剣術の要諦。世間の目は、敵の目と思うておくがよい」
「われの思うわれと、人の思うわれは違うもの・・・・」
 鉄太郎は、井上清虎の言葉を繰り返した。送別の杯を何献も受けたが、まるで酔っていない。頭の芯は、むしろ冴えきっている。
「さよう。人というもの、ついおのれを過信し、他人を見くだす悪癖がある。おのれが正で他人が邪、おのれが清く、他人が穢れていると思いがちだ。世の多くの人間が、そう慢心して生きておる。まこと、馬鹿馬鹿しいかぎりだが、とかく人とは愚かなものよ」
「人は愚か・・・・、でございますか」
 鉄太郎がたずねると、井上清虎が杯を干した。
「世に棲む九割の人間が凡愚と思うてまちがいない。ただし、なかには慧眼の士、具眼の士がおるゆえ、初対面の人に接するときは、ゆめゆめ侮ってはならぬ」
「九割が凡愚・・・・と、おっしゃいますか」
 井上清虎には、これまでさんざん剣術の稽古をつけてもらったが、考えてみれば、剣の技以外の話を聞く機会は、めったになかった
「もっと多いかもしれんぞ」
 鉄太郎が酒をつぐと、井上はまたすいっと杯をかたむけた。
「しかし、それでは、世の中には凡愚な者ばかりが満ちているということになります」
「そうよ。世の中ばかりではない。このわしも凡愚。おまえも凡愚。どうだ、自分だけは凡愚にあらずと思うておったのではないか」
 鉄太郎は、井上の問いかけに胸を突かれた。じつのところ、世に棲む九割が凡愚だと言われて、そのなかに自分を数えていなかった。残りの一割の賢者に入っていると思っていた。
「はは。図星であろう。ためしにいまの話をだれかにしてみるがよい。まずたいていの者は、なるほど世に愚か者は多いと納得したうえで、自分は九割の凡愚にあらずと思うておる。人間とは、それほど愚かなもの」
 井上は呵々大笑して、豪快に杯をあおった。
(54〜56ページ)
***

「剣術」のところを「ヨガ」に置き換えてみてもいいかもしれません。

人が愚か、であればわれもまた愚か、ですね。

日々是精進だなぁ・・・。

 

 

 

 


2013年7月18日の記事アップ(tanakomo)です。

 

もうひとつ、禅の話を。

みなさんは「偈」というのをご存知でしょうか。
「偈」というのは、仏徳を讃え、仏の教理を説く「詩」のことです

以下は、昨日アップした本に出てきた「偈」なのですが、とてもいいので紹介します。

少々本文から引用します。

***
食前食後の偈や観文は何種類もあるが、禅堂で夕べに食する薬石は、厳密な意味での食事ではないので、ふつうは偈を唱えない。
それでも鉄舟は、食事の一口一口が、悪を断ち、善を修め、衆生を救う仏の道だと再確認したくて、偈を唱えることにしている。(283ページ)
***

として、以下のような「偈」を唱えます。

一口為断一切悪
(いっくいだんいっさいあく)
二口為修一切善
(にくいしゅういっさいぜん)
三口為度諸衆生
(さんくいどしょしゅじょう)
皆共成仏道
(かいぐじょうぶつどう)

「いっくぅ、いーだん、いっさいあーく」のように拍子をつけると、お経のように唱えやすいと思います。まあ、いわば、お経の短いヴァージョンなわけですが・・。

フナツが勝手に書き下し文にしてみます。

一口(食せば)為す、一切の悪を断つことを
二口(食せば)為す、一切の善を修むことを
三口(食せば)為す、諸衆生を度すことを
皆、共に成仏道

ちなみに、「度す」というのは、「済度」という仏教の言葉から来ていて、悟りの境地に導くことを意味します。「度し難い」という言葉はここから来ています。

さて、では(これも勝手なフナツの)口語訳です。

ひとくち食べるごとに、一切の悪が絶たれるように、そして自分も絶つように願う。
ふたくちめを食べるときに、あらゆる善をほどこすことができるように、善がほどこされるように願う。
みくちめを食べるときには、すべての人が救われるよう願う。
この世に生きる人々が成仏できますように、みなが救われますように。

 

 

 

 



2013年7月16日の記事アップ(tanakomo)です。

 

ちょっと「禅」の話です。

今日、B先生のブログに、アシュタンガヨガが日本に入ってきてブームになった頃の「ポーズ至上主義」のこと、頼まれてもいないのに人のポーズをいちいちチェックして回る「アシュタンガポリス」のことが書いてありました。

現在はブームも落ち着き、そんなに細かいことにとらわれないで練習している人が多数派になっていると思いますが、やはり何かしら、そういう部分が見え隠れしている状況があります。

さらに、何かに一生懸命になっていると「あ〜、とらわれているなぁ」と思うことがフナツにもよくあります。「もっと融通無碍にならないと、もっと広くいろいろ見ないと、狭い世界にとらわれてちゃいけない」と思うことがあります。

先日、山岡鉄舟のことを書いた小説、山本兼一『命もいらず、名もいらず』を読んだのですが(えーと山岡鉄舟というのは、幕末から明治に生きた人で「剣」と「禅」を究めたすごい人です)、鉄舟もやはり修行の途中すごく迷うわけです。

おもしろかった一節を以下に紹介します。

悩める鉄舟は、とある山門の著名な和尚(星定)に参禅をお願いするのですが、断られてしまいます。そしてそういう場合の礼儀として、門前で冬の夜ただひたすら凍えながら許されるのを待っている鉄舟に、和尚は以下のように話しかけます。

ちょっと長い引用になりますが・・・、

***
「寒いのに物好きだな。在家のくせに、なぜ、そんなに参禅したい
 闇のなかに、星定の声が響いた。
「不動のこころを求めております」
「ほう、不動のこころを得て、なんとする」
「死を恐れず、敵に向かいとう存じます」
 ふん、と、星定が鼻の先で笑った。
「死を恐れずにな・・・・」
「・・・・」
「おまえは、いま、寒くないか」
 星定がたずねた。
「いいえ、心頭滅却すれば火もまた涼し、と申します。寒くはございません」
 むろん、やせ我慢である。
 星定和尚が、大声をあげて磊落に笑った。
「おまえも、禅の病じゃな」
「禅の病ですか」
 初めて聞く言葉だった。
「ああ、不退転の決意を持って、道を究め、生死の業を消し去り、無碍自在の心境になったと、思ったことがないか」
 言われて、鉄舟はどきりとした。
 この数年、国事に奔走していても、鉄舟は一人で座禅をくみ、一人でさまざまな境地を得ようとしていた。
 そして、そのたびに、生死を超えた自由自在の境地に達した気がしていた。
 しかし、していたのは気ばかりで、実際には、さまざまな煩悩がおのれのなかに渦巻いていることに気付いていた。
 —煩悩よ、消えろ。
 そう念じれば念じるほど、さらに煩悩が渦巻くのだ。
 ちょうど、二十歳のころ、道場で木刀をにぎっていながらも、一歩も進むことも退くこともできずにいたときと似た感じである。
 精神の自由がまったくきかないのだ。いっそ山のなかに籠もって仙人になりたいとさえ思った。いつも陽性な鉄舟には、めずらしいことだった。
 そんな気持ちが、闇を通じて伝わったらしい。
「やはり、病気らしいな」
「はい、そうかもしれません」
「案ずるな、白隠禅師も、ご病気であったわい」
 星定の言葉が、意外だった。
「白隠禅師ほどの方が、でございますか」
「ああ、悟ったつもりでも、じつはなんの悟りも得ておらず、頭が痛み、耳が鳴り、なにごとにも臆病になられたことがあったのだ」
 鉄舟は、息を呑んだ。それはちかごろの自分の心境に似ていた。なにをしても気持ちが落ち着かず、得意な書でさえ、うまく書けなくなってしまっていた。
「寒いときは、寒いぞ、そう感じるのが当たり前であろう。ちがうか」
 星定がたずねた。
「たしかに・・・・」
 鉄舟はうなずいた。
「わしらでも、一日、禅をくんでおれば足が痛くなる。そんなときは、痛いとしか思えん。それでよかろう。それが当たり前の人間だ
 すでに大悟徹底の境地に達したと見えるこの和尚にしてさえ、なお、足の痛さを、念のなかから消すことができぬというのは、鉄舟にとって、新鮮な驚きであった。
「禅は、あるがままだ。人のこころに不動などあるものか。寒いときは寒い、痛いときは痛い、怖いときは怖い、それでいかんか」
 鉄舟は深々とうなずいた。それでいけないはずがない。
 おのれが当たり前の人間であると気づくことも、また、ちがった意味で、不動心への第一歩にちがいない。いや、むしろ、不動心そのものを、自分は誤解していたのかもしれない。絶対に動かないこころなど、あるはずがないではないか ―。そんな気さえしてきた
「夜坐はとっくに終わっておる。雲水たちを起こさぬように、僧堂に入って休むがいい」
 それだけ言うと、星定はくるりと背を向けて立ち去った。
「ありがとうございます」
 鉄舟は、深々と頭をさげた。(292~295ページ)
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最近、ヨーガ・スートラと仏教の研究をすればするほど、そのふたつの共通点に驚かされます。禅の勉強をすればするほど、ヨガとの共通点を感じます。

フナツも「ヨガの病」、「研究の病」にならないようにしないと・・・。

 

 

 

 


2013年2月19日の記事アップ(tanakomo)です。

 

フナツ愛用の座禅用座蒲です。

瞑想のために座るのが楽になります。
アマゾン他で簡単に手に入ります。

購入していつでも目に入る場所に置いておけば、瞑想へのきっかけ(あ、今日は瞑想してなかった!忘れてた、なんてね)になるかもしれません。

現代人のストレス緩和、潜在能力アップ、落ち着いた気分で仕事の効率アップ、その他いろいろのために、ぜひ瞑想を生活の一部にしてはいかがでしょう。

先日のヨガスートラの講座でも話したのですが、毎朝歯を磨くように、帰ってきたら手を洗うように、瞑想をする習慣をつけるといいと思います。

歯磨きとか手洗いって、何となくしてないと気持ち悪いでしょ?そんな感じにするといいかなって思います。

 

 

 

 


曾野綾子さんの言葉。

「呼吸」とヨガ哲学に関連したお話(2012.4.30 tanakomo

 

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今、マイソールを終えて、いつもの「かんてら」さんでモーニング食べてます。

週刊ポストってホント「おっさん専用雑誌」であまり好きじゃないんですが、連載ものにおもしろいものがあるので、けっこう喫茶店では手に取ります。

井沢元彦さんの「逆説の日本史」、大前研一さんの「ビジネス新大陸の歩き方」、そして曽野綾子さんの「昼寝するお化け」が最近のお気に入りです。

そして、今週号(2012.5.4/11)の曽野綾子さんのエッセイの中にとても共感できる部分があったので紹介します。

曽野さんは、睡眠のこと、薬のこと、自身で行う鍼のことなどにふれ、最後にこう文を結びます。

「そう言えば、人間の暮らしは「出ると入れる」でなり立っている。呼吸も食物の摂取もそうだ。呼吸はよく吐かねば充分に吸えない。食べるだけ食べても、排泄が充分にできていなければ、必ず次の重大な支障に繋がる。
 恐らくお金はもちろん、品物でも、幸運でも、愛情でも、この収支の関係がうまくいっていないと、必ず後で精神的病気になるように私は思うようになった。自分に要るだけの物は充分にいただくのだが、要らない分は人に分ける。自分が幸運だと思ったら、その運を少し分けるような機会を見つける。愛を受けたら、他の人にそのお返しをする。
 世の中には自分の不運を嘆く人がいるが、その中には、取り込むだけで出すことと与えることを考えない人がかなりいるのだろうと思う。それは「運が悪い」という人生に繋がるのである」

含蓄のある言葉ですね。