日本文化について

日本の仏教の歴史を語ることは、日本文化を語ること、ということで。

 

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exblogからのアップ、パート①です。

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日本仏教概観(日本仏教の歴史)

メチャ大きなテーマですが、日本という国について、そして日本の文化・歴史に関して考えるとき、仏教の知識が欠かせないとフナツは思うので、日本仏教の歴史や(フナツが話せる範囲での)仏教に関連する諸々のことなどを話しました。
 
もちろんフナツは「ひろさちや」さんを目指しているわけじゃないし、お坊さんの修行をしているわけでもないので、語れることはかなり偏っています。しかし、自分のルーツについて考える、自分の考えていることの基本はどこからきているかといった、「日本人の思想」というものを考える際に、仏教のことを考えるのはとても大事なことです。

そして数ある仏教に関する本の中で、フナツがこのテーマでぜひお勧めしたいのが次の本です。この本には、なぜフナツが仏教にこだわるのかが多少わかってもらえるような記述がありますので、まずそれを紹介します。

末木文美士(「ふみひこ」と読みます)『日本仏教史』新潮文庫、(文庫の初版は平成八年、単行本は平成四年の出版です)

このような素晴らしい本が文庫で読めるなんて、ホントこういうときに日本の出版業界は偉い!と思ってしまいます。

「あのぉ、先生、私、仏教のことあまりよく知らないんですけどぉ、勉強したわけじゃないんですけどぉ、仏教のことちょっと知りたいなって思うんです」って学生がいたとして(社会人の受講生にもけっこういる)、「でもって、仏教の教えとかお釈迦様がこう言ったとかそういうのはいいんです、お坊さんの書いたものとか、宗教がかった内容も苦手なんです」、そういうことを聞くとフナツは「ほう、ふむふむ」と内心思うわけです。
 
「仏教がどこから来たとか、どうやって日本に定着したのかとか、日本の歴史とどうからむかとかが知りたいんです、だって日本史によく出てくるでしょ、聖徳太子が仏教を広めたとか、高野山とか比叡山とか、一向一揆とか、そもそもなんでこんなに日本ってお寺が多いんですかぁ」なぁんて聞かれると、しめしめとフナツは思います。

そういうときに自信を持ってお勧めするのがこの本なわけです。あ、もちろんすらすら読める本じゃないです。特に、第Ⅰ章から第Ⅵ章はけっこう細かい記述が続きます。ちょっと気合いを入れて読まなくてはいけませんが、そこはそれ、面倒だったら飛ばせばいいんです。別に、読んだ後試験があるわけじゃない。おもしろそうな部分だけ、興味をひかれたところだけ拾い読みすればいいのです。高校時代の日本史の教科書とか副読本(あー、名前を忘れましたが・・、日本史別表だったかな、ちょっと教科書とは本の体裁とか大きさが違うやつ)と併せて読むとなおいいです。

「序章にかえて」と「終章」を熟読するだけでもいいです。

この本の副題は「思想史としてのアプローチ」です。つまり「日本の仏教思想」というテーマについて、あれこれと思考訓練をするという試みで「終章」を読んでもいいです。

 

 

 

 


exblogからのアップ、パート②です。

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さて、さっきなぜフナツが仏教にこだわるのかの理由になりそうなことが書いてある本だと書きましたが、少しそのあたりを「序章」から紹介しましょう。(このあたりも、時間がなくてなかなか勉強会では詳しく説明できなかったのですが・・)

末木先生は、この本を執筆当時、東京大学大学院人文社会系研究科の教授をされていたわけですが(現在は京都にある、国際日本文化研究センターの教授)、一貫して仏教思想というものに取り組んでこられました。その末木先生の考えにフナツ自身の考えをなぞらえるなんて恐れ多いというか、不謹慎なのですが、まあ、ブログの書き込みということで許してもらいましょう。

末木先生はまずこう述懐しておられます。

「最初哲学を志しながら、西欧という厚い壁に、そしてキリスト教という巨大な伝統にはね返されて、仏教に転じ、それもいろいろと模索のすえ、またもやインドという底知れぬ世界を前に立ち尽くし、結局日本という振り出しに戻ったのだから、だらしのないこと限りない」(9ページ)

そうなんですね、西欧のであれ、日本のであれ、アジアのものであろうと、思想というものをいろいろ勉強していくと、結局、自分がとことん浸りきっている日本というものに一旦戻らざるを得ないのです。(たぶん思想だけってわけじゃない・・)そして末木先生はこう続けます。

「だが、もちろんぼくにはぼくなりの自負もある。自国の伝統に根差すことなくして、どうして真に大地に足の着いた思想が展開できるというのか。よく言われることだが、日本では自国の過去の思想を思想史として定着させることができなかった。今日、これほど日本学とか日本論とかが盛んになっても、思想史の全体像はなかなか見えてこない」(同)

そしてここで末木先生は丸山真男の言葉を引用します。

「私達の思考や発想の様式をいろいろな要素に分解し、それぞれの系譜を遡るならば、仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なもの―要するに私達の歴史にその足跡を印したあらゆる思想の断片に行き当たるであろう。問題はそれらがみな雑然と同居し、相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としていないところにある」(丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年より)

丸山(えーと、「過去の偉人」に関しては、名前は呼び捨てです)の言葉にしては、わかりやすく簡潔な一節ですね。

フナツも新渡戸研究から始まって、武士道を調べ始めた時しみじみ思いましたね。「掘り下げてったら、これはきりがないぞ」って・・。(武士道といえば「禅」で仏教調べないといけないし、神仏習合で神道もやらないといけないし、江戸時代の武士道は儒教の教えが色濃くあるし、おまけに新渡戸はクリスチャンでキリスト教の影響もやらないといけないし、そもそも仏教やるならインドまでさかのぼらないと・・などなどです)

ちなみに、以下の丸山の言葉のほうが実に丸山っぽいです。(ああ、こんなに軽く丸山真男について書いたらきっと何かでバチがあたりそう)さっきの言葉の続きです。

「むしろ過去は自覚的に対象化されて現在の中に「止揚」されないからこそ、それはいわば背後から現在の中にすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない」(同)

えーと、ちょっと違う方向へ行きそうなので、仏教にもどします。(上の文章がさっぱりわからないという人は勉強会で聞いてね)

また末木先生はこんなふうにも書いてます。

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 大体、仏教というのはおかしな宗教で、発生地のインドでは滅びて消えているし、中国や韓国でも滅びはしないまでも、ある時代以降、積極的な思想史的な意味を失ってしまう。キリスト教だって発生地のユダヤ人社会では滅びたではないかと言われるかもしれないが、もともとユダヤ人社会でもそれほど多数を占めたり、大きな影響を残したわけではなかったであろう。ところが、仏教はインドでは古代の一時期、思想・宗教界の主流ともいうべき強大な力を誇り、インド最大の哲学者シャンカラでさえ、「仮面の仏教徒」といわれるような大きな影響を残している。それがほとんど完全に消えてしまっているのはなぜだろう。
 中国だって、中世の仏教の全盛期から近世に下ると、仏教にひいきする目から見れば、目を覆いたくなるものがある。日本の場合、仏教はかなり強力に生き残ってはいるが、近世以後、思想界の主流としての力はもちえなかった。(12ページ)

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チベットや東南アジアには、まだ仏教が生活の中に色濃く残っている地域もありますが、日本の大乗仏教とはかなり違うものなんですよね。なんで他の地域には残っていない仏教がこんなに日本には残っているんだろうという疑問があるわけです。

 

 

 

 


exblogからのアップ、パート③です。
(ホント、昔は一度の書き込みにたくさん書いてたんだなぁとしみじみ思います)

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さて、それでは簡単に仏教の歴史にふれましょう。とっても簡単にね。

・古代仏教:
仏教の日本への伝来には、538年、552年と諸説ありますが、仏教の伝来ルートはわかっています。インドから中央アジアを通り、中国・朝鮮経由で日本へ。仏教の拡がりは聖徳太子に力に負うものが多いですが、太子のカリスマ性はすごいと末木先生は書いてます。太子と法隆寺の関係もおもしろいですよね(ここで梅原猛さんの怨霊説にもふれています)。そして天平4年、聖武天皇が東大寺の大仏を建立し、諸国に国分寺を作り、仏教をいよいよ盛んにします。まさしく国家仏教ですね。(あの名作、井上靖『天平の甍』の時代です)
 
そしてそのような国家が推進する仏教に対する民間仏教の立役者が、あの行基なんですね。末木先生はこのあたりの民間仏教の活動が平安時代にも受け継がれ、空也の阿弥陀聖など、日本仏教の基底部となっていくとしています。
 
そして、南都六宗、倶舎・成実・律・三論・法相・華厳もこの頃です。フナツもこのあたりは名前だけ知っているくらいでしたが、この本で詳しく知りました。

・平安仏教:
このあたりは、日本人ならたいてい名前くらいは知っている、最澄の天台宗、比叡山と、空海の密教(タントラ、インド哲学)、高野山、曼荼羅などのお話ですね。(デザインや絵画としても曼荼羅ってすごくきれいですよね)

たとえば龍村先生のワークショップでも、日本にヨガを初めて伝えた人として、文献で確認されるということですが、空海の名前をあげていました。密教のタントラには「瑜加(ゆが)タントラ」があるわけですから自明のことですね。

「瑜加(ゆが)」イコール「ヨガ」です。

ちなみに、スートラが一般の経典、タントラは密教の経典だそうです。

そしてこれは勉強会では話せなかったのですが、去年空海のことが知りたくていろいろ読んだ本の中に、とても読みやすい小説があったのでここで紹介します。

服部真澄『最勝王』上・下、中公文庫、2009年(ただし、この本は空海のこれまで謎とされていた前半生がメインなので、読みやすい本で空海の全体像が知りたい人は、鷲田小弥太『日本を創った思想家たち』PHP新書とか、梅原猛さんの一連の本、「声に出して読む」で有名になった齋藤孝さんの本、そしてあまりにも有名な司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫、などが読みやすいと思います

末木先生の語る「密教」を読むと、なんとなく空海の思想が馴染みやすいと感じる人が多いのではないかと思います。

さて、第Ⅲ章は
・「末法思想」と「浄土」です。

永承七年(西暦1052年)は、仏が亡くなって二千年後ということになってますが、よくわかりません。末法思想そのものは、我々もよく知っている「時代の悪業への嘆きと、そのなかにあって自らも逃れえない定めへの自省」(136ページ)ですが、このあたりから「極楽往生」「欣求浄土」という考えが出てくるわけですね。

「往生要集」の中の地獄絵図は、たぶん日本史か美術の教科書なんかで誰もが一度は目にしているはず、ダンテの『神曲』とも並び称される傑作です。もちろん地獄の話ばかりではなく、餓鬼・畜生・阿修羅・人・天、の六道を含んだ娑婆世界と極楽世界のことが書いてあります。

また、このころから出てくるさまざまな信仰を、いくつかあげると、「阿弥陀信仰」「弥勒信仰」「地蔵信仰」「観音信仰」「法華信仰」「山岳信仰」などがあり、「本覚思想」の汎神論的世界観は、フナツの仏教観にすごく影響を与えている思想だなと思います。164ページからの本覚思想に関する“FEATURE 2”というコラムは必読です。

いわゆる「草木国土悉皆成仏」です。

あー、簡単にと言いながらこんなふうに書いていたら全然終わりませんね。少しスピードアップします。

・第Ⅳ章:鎌倉期の仏教

法然の浄土念仏、そしてその弟子の親鸞は日本仏教の巨人ですね。ウチも浄土真宗西本願寺派ですからね。(日本では浄土真宗が一番信徒が多いんじゃないでしょうか)『嘆異抄』があまりにも有名ですが、五木寛之さんがいい本を書いてますので「嘆異抄」に関してはそちらでどうぞ。最近出た『親鸞』(中日新聞社と講談社が共同で出してます)もすごくおもしろいです。一気に読めます。

その『親鸞』出版記念で開催された、五木寛之さんの講演会に行った話はまた書きますね。

浄土真宗は、ご存じのとおり、「他力本願」の浄土信仰(どちらかといえば仏教の正統派ではない)ですね、自力修行的な「般若思想」とは違います。(だから浄土真宗では般若心経は唱えません)

そして栄西が禅を広め、その弟子、道元が永平寺で禅を確立し『正法眼蔵』を書きます。これは完ぺきな哲学書ですね。
 
また、元寇の時代の社会不安の中から、日蓮が思想を先鋭化し、すべからく正しい法である「法華経」に依るべきであると『立正安国論』を著します。念仏で有名な一遍もこの時代だし、新しい仏教諸派が登場します。

ちなみに、日蓮は明治以後も近代的自我の確立に大きな影響を及ぼしていて、有名どころでは、宮沢賢治、北一輝(戦前の右翼、超国家主義の思想家です、現在の右翼というイメージよりは革新的な思想的指導者という感じ)や、陸軍の天才児、石原莞爾や、高山樗牛(日本主義を唱えた評論家)などです。←「あのぉ、このあたり、ぜんぜん知らないんですけど」っていう人も多いかもしれません、ただ単にフナツの得意分野の、明治から昭和初期の思想人の中で有名な、ということです、すいません。

また話がそれました。

・第Ⅴ章近世仏教:

江戸期の仏教です。

本寺と末寺の関係を制度的に確定した、つまり本山―本寺―中本寺―直末寺―孫末寺という系列を作り、上納金制度などで寺院が整備された「本末制度」のことや、檀家の墓地を境内に持ち、寺と檀家の関係性を固定化させ、キリシタン禁制に役立てたり、戸籍作成で支配を強化したりする目的で作られた「寺檀制度」などは、その目的がなくなった現代にも生きています。

またこの時期、キリスト教・儒教との対立がありました。

知る人ぞ知るという感じですが、この時代の鈴木正三(「しょうさん」と読みます)は三河出身のもと武士で、出家後、禅宗の修行をした人ですが、フナツは江戸期のことを調べていた時に、この人の書いたものを読んでけっこう感動しました。

 

 

 

 


exblogからのアップ、パート④です。
これは短いです。

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そして最後に、
・第Ⅵ章「神と仏」です。

なんで「神仏習合」なの?「本地垂迹説」って何?
そもそも神社に「なんとか寺」って名前がついているのはなぜ?

この本とは関係ないですが、「豊川稲荷」って実は曹洞宗のお寺なんですよ、知ってましたか?嘘だと思ったら、ぜひ豊川稲荷の公式ホームページを読んでみてくださいね。
 
「神と仏」ってどんな関係なの?
その疑問の答えは・・、読んでみてね。

最後に現代の仏教について、本の内容とは関係なく、つれづれなるままにフナツが考えていることを話しました。

・まず自分のウチの宗旨、宗派を知らない人も多い
・日本のお寺(坊主)が裕福な理由は?
・宗教法人に対する非課税システム
・人々の宗教への無関心
・宗教を公の場で語ることのタブー
・その理由として、戦前の、イデオロギーとしての国家神道への嫌悪感
・葬式仏教になってしまった現状、冠婚葬祭の場のみの宗教

そして、日本人の宗教心やアニミズム、多神教と一神教についてふれ、最後に(フナツお得意の)新渡戸稲造の「多元論的宗教思想」について話しました。

 

 

 

 


外国人が「日本に長く居すぎてしまった」と実感するのはこんなとき

 

これ傑作です。

外国人から見た「日本文化」の一例。

 

 

 

 


日本文化関連の参考文献もあります。ご参考までに。